5
昼休みが終わる直前になって、美愛ちゃんは帰ってきた。教室のドアが開く音がしたから確認したら、美愛ちゃんだったのだ。
彼女の後ろから、数名の男子生徒が駆け込んできた。時間ギリギリまで遊んでいて、急いで来たのだろう。いかにも素行の悪そうな顔をした、五人組だった。正確な名前は知らない。
って、そんなことはどうだっていい。今は美愛ちゃんだ。
僕は美愛ちゃんを凝視することにした。彼女が自身の席に戻ってくる間も、視線は離さない。クラスメイトたちが『キモい』だなんだ騒いでいるが、ほとんど耳に入らなかった。
美愛ちゃんが僕の横を通過した時、僕はハッとした。
……み、美愛ちゃん?
美愛ちゃんは泣いていた。教室に来た時からうつむき気味だったから不思議には思っていたけど、まさか泣いていたなんて……。
動揺が走った。
……どうすればいい? 僕は……どうすればいいんだろう?
泣いているということは、なにか美愛ちゃんに悲しいことがあったんだ。それは間違いない。けど、僕になにができる?
チャイムが鳴り、五限の授業が始まったが、僕はそれどころではなかった。後ろに座っている美愛ちゃんのことが気掛かりでしょうがない。
意識は常に彼女に向けられている。
すると、脳内に声が響いた。
『……助けて』
美愛ちゃんの声だった。それも、苦しみを形にしたかのような、かすれた声だ。
「っ?」
僕は思わず背後を振り返りそうになった。が、今そんなことをしたら目立ってしまうので、思いとどまった。
代わりに、脳を激しく回転させる。
……今のは? 美愛ちゃんの心の声だよね? 聞き間違いじゃ……。
『……助けて』
聞き間違いなんかじゃない。美愛ちゃんは確かに、心の声で助けを求めてる。
そのSOSに気づけるのは、僕だけだ。僕だけが、彼女の本心を聞き取れるんだ。
授業がなんだ。周りの目がなんだ。僕の美愛ちゃんが困ってるんだ。だったら……。
意を決し、僕は美愛ちゃんのほうを向いた。一度唾を飲み込んでから、『……どうかしたの?』と、囁きかけた。
美愛ちゃんは少し驚いた顔をした後、今度は自らの口で言った。
「……助けて」
「!」
心臓が騒いでいる。緊張だか興奮だか恐怖だかわからない感情が、心臓を不規則に動かしている。
「どういうこと?」
「…………今、授業中だから、紙に書いて渡すね」
美愛ちゃんは目元を拭い、そう言った。
「……わかった」
僕は一旦、顔を前に戻した。後ろから、ペンを走らせている音が聞こえる。
落ち着け、僕。冷静に状況を整理するんだ。
美愛ちゃんが泣いている。四限までは普通だったから、昼休みになにかがあったんだ。なにか……泣くほど悲しいことが。
怒りが込み上げた。僕の美愛ちゃんを悲しませたなにか、あるいは誰かに、憤る。
よくも……よくも美愛ちゃんを……。
拳を握り締めていたら、右肩を美愛ちゃんにつつかれた。どうやら紙を書き終えたらしい。
僕はすぐさま振り返った。美愛ちゃんからルーズリーフの切れ端をもらい、そこに書かれたことを読んでいく。
…………。
絶句だった。
そこには、あまりに衝撃的なことが書かれていた。
『わたし……襲われたの。』
文面はそう書き出されていた。
襲われた。
襲われたのだ、美愛ちゃんは。昼休みに。体育倉庫で。服を脱がされた。が、その時はなんとかそこまでで済んだそうだ。
誰に襲われた? 『あいつら』だ。
『あの五人』だ。
僕は教室内に視線を走らせた。先刻、美愛ちゃんと一緒に教室に入ってきた五人の男子生徒。彼らの顔を、順に眺めていく。いや、睨んでいく。
こいつらが美愛ちゃんを襲ったのか。許せない。僕の美愛ちゃんを……僕の美愛ちゃんに、酷いことをしやがって。
今にも五人に飛びかかりそうだった。やつら一人一人の喉を噛み切ってやりたい。目玉を抉り、踏みつぶしてやりたい。
ガタッと小さな音がした。美愛ちゃんの椅子が揺れたのだ。そちらに目を向けると、美愛ちゃんが震えていた。やつらにやられたことを紙に書いたせいで、恐怖がよみがえったのかもしれない。
「大丈夫だよ」
僕は美愛ちゃんに言葉を紡ぐ。
「僕が君を守るから」
そう、僕が君を守ってあげるよ。必ず。
今僕が『あの五人』になにもしないのは、この後にそのための舞台が用意されているからだ。美愛ちゃんからの手紙によると、彼女は放課後に、五人から呼び出されているらしい。『体育倉庫に来い。来ないとさらに酷いことをするぞ。』と。
次に美愛ちゃんが五人に会った時、『服を脱がされる』では済まないはずだ。恐らく、それ以上のことが行われる。最低で最悪の行為が。
だが、そんなこと僕がさせない。体育倉庫に集まったやつらは、僕が全員、この手で……。
ガタッと、再び美愛ちゃんが震えた。目を見開き、固まっている。
「大丈夫だよ」
もう一度告げ、僕は授業に戻った。頭の中では、どうやって五人に制裁を加えてやろうか考えたまま。
6
放課後。
体育館に隣接された体育倉庫に、僕はいた。跳び箱の陰に隠れ、息を潜めている。HRを抜け出し、来たのだ。
『やつらを待ち構えるために』。
手には野球部の部室から拝借した金属バットを持っている。銀色のこの棒が、もうすぐ赤く染まるだろう。五種類の血液によって。
しばらくして、美愛ちゃんがやって来た。首を配し、視線をさまよわせている。僕を探しているのだろう。
「ここにいるよ」
僕はバットを持ち上げてみせた。それで美愛ちゃんは安心したらしく、頷いた。携帯電話を取り出し、画面を見ている。多分、時間を確認してるんだ。もうすぐやつらが指定した時間になるから。
僕は両眼を研ぎ澄ます。餌の到来を待つ、獣のように。
やがて、来た。
やつらだ。体育倉庫の扉を開け、五人全員入ってくる。うち二人が、僕と同じように金属バットを持っていた。美愛ちゃんを脅すためだろう。どこまでも残忍なやつらだ。
美愛ちゃんは後退していく。やつらから距離を置くようにしつつ……。
僕のほうを指差してきた。
「?」
どういう意味? 『飛び出せ』っていう合図かな?
美愛ちゃんの奇妙な行動に戸惑っていたら、五人のうちの一人がこっちに駆けてきた。バットを持ったやつだ。鈍色のバットを振り上げている。
え? どういうこ……。
ゴッ。
頭上で鈍い音がした。いや、頭の中で響いた。
殴られたのだ。金属バットで。
意識が朦朧とし、ぐらつく僕。埃臭い倉庫の床に、うつぶせに倒れた。
……あれ? これはどういうこと?
痛む頭で必死に考えた。けど、現状を説明できる解は出なかった。
誰かがこちらに近づいてくる。この細い脚は、美愛ちゃんだ。
彼女はしゃがみ、僕の耳元に口を寄せてきた。
「声ガ聞コエル。声ガ聞コエル。声ガ聞コエル、心ノ声ガ」
「…………?」
なにを言ってるかわからなかった。美愛ちゃんの冷たい声は続く。
「あんたさぁ、自分がテレパシーを使える人間だと思ってたの?」
なんだ? 美愛ちゃんはなにを言ってるんだ? なんで僕がテレパシーを使えることを……。
「だから違うって。『テレパシーを使えるのはわたしだよ』」
「…………え?」
一瞬だけ頭痛が消えた。その後は、先程よりも鋭い痛みが脳内を這いずり回る。
「あんたがわたしの心の声を聞いてたんじゃない。わたしがあんたに心の声を送っていただけ。それをあんたは、勝手に自分の能力だと思って勘違いしていただけ」
…………嘘だ。
「嘘じゃないよ。わたしは……わたしのテレパシーは受信も発信もできる」
『こんなふうにね』
頭の中に美愛ちゃんの声が響いた。痛みとともに脳を掻き混ぜる。
「あんたの勘違いは傑作だったよ。まさか自分に超能力があると思うなんてね。あんたみたいなクズに、そんな力があるわけないじゃん」
…………これは嘘だ。美愛ちゃんがこんなことを言うはずない。偽者だ。
「だから嘘じゃないって。……ああ、あとその『美愛ちゃん』って呼び方やめてくれない? 反吐が出る」
…………。
「……なん……で? なんで……こんなことを……?」
「あんたがキモいから。ただそれだけ。だから、みんなであんたをハメたわけ」
「……そっ……か……」
なぁんだ。やっぱり僕に超能力なんてなかったんだ。美愛ちゃ……広瀬の声以外は、全部僕の妄想が生み出した声だったんだね。
「そうだよ。残念だったね」
『あはははは』と広瀬は笑った。
段々、全身の感覚がなくなってきた。手足が冷たくなってるみたいだ。寒い。頭痛はなくなってきたけど、代わりに寒い。
「それにしても、授業中のあんたの殺意には、さすがにわたしもびっくりしたよ。思わず震えちゃったし。大したもんだね、あんたの異常性は」
あの時、広瀬が震えていたのはそういうことだったのか。……でも、そんなこともうどうだっていいや。眠くなってきたよ。
「あれ? もしかして死んじゃう? ……ま、いっか。血のついたバットをあんたに持たせておいて、自殺したことにしておけばいいよね。いじめられてたんだから、信憑性はあるし。それに、仮にわたしたちが捕まっても、わたしたち未成年だしね~」
僕に超能力はなかった。でも、テレパシーなんていらないや。そんな力がなくても、相手の心の声が聞こえてるし。相手の口から。
……眠い。眠くてしょうがないや。
広瀬がなにか喋ってる。楽しそうに。
声ガ聞コエル。声ガ聞コエル。
声ガ聞コエル、心ノ声ガ。
声ガ聞コエル。声ガ聞コエル。
声ガ聞コエル、心ノ声ガ。
君ノ口カラ。
でも、広瀬の声も徐々に聞こえなくなってきた。意識が遠くへ、遠くへ消えていく。
僕は瞼を閉じた。
声ハモウ聞コエナイ。
おわり
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