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『上下』(小説)

 1
 よし。なかなかのできだ。
 教室で英語の小テストを受けながら、上田昇(うえだのぼる)はほくそえんだ。
 早々に解答欄を埋めたので、教室内に視線をさまよわせる。まず一番前の席に座る男を見た。池本誠(いけもとまこと)。クラス一秀才と名高い男だ。実際、テストではいつもトップを譲らない。端整な顔をしているため、女子からの人気も高い。
 裏返した答案の上に肘をつきながら、池本は外を眺めていた。その姿は嫌になるほど様になっている。
 ……今に見てろ、池本。
 上田は憎々しげに目を細めた。それから、今度は一番後ろの席に目を移す。
 頭を抱えている男がいた。険しい顔を見る限り、テストのできが悪いのは明らかだ。おそらく答案用紙の半分も埋まっていないだろう。
 相変わらずだな、下平(しもひら)。
 下平学(まなぶ)は劣等生だ。今までのテストでは毎回ビリか、よくて下から二番目だった。そして現在は、例外なく毎度ビリだ。
 原因は、これまでビリを争ってきた生徒が、急に成績を伸ばしたことにある。
 下平、俺はもうおまえと違うんだ。
 その生徒こそ上田昇だ。彼の成績はある日を境にうなぎ登りになっている。今やクラス内でも上位だ。
 きっかけは、中間テストでいつもよりいい点数を取ったことだった。テスト前日、何故か寝つけず、柄にもなく勉強した結果だ。普段は五十点以下しか取れなかったが、その時は七十点だった。
 やればできるもんだな。
 返されたテストを見て、上田が抱いた感想はその程度のものだった。
 その日の晩、あんな夢を見るまでは。

 2
 普段通りの生活。家族三人で晩飯を食べ、自分の部屋へ。勉強なんてするはずもなく、適当にマンガを読んだり、パソコンをいじったりした。
 夜も更けると就寝。二段ベッドの上に潜り込む。兄が使っていた場所だが、彼は一人暮らしをしているので今は空いている。最近はもっぱら上で寝るのが習慣となっていた。
 なんかつまんねぇな……。
 白い天井を眺めながら、上田はそんなことを考えた。
 ただ学校に行くだけの人生。一人でいることを好む上田には、仲の良い友達もいない。趣味もこれといってない。必然、部活などにも入っていない。
 なにも刺激のない世界。
 上田はうんざりしていた。
 世界を嘆きつつ眠る。これもいつも繰り返されることだった。

 夢を見た。あまり夢を見ない上田にとっては珍しい経験だ。
 以前に見た夢などひどいものだった。上田の目の前に高い高いビルがあり、その上にクラスメイト達がいて上田を見下ろしているというものだ。全員の目が冷徹で、上田を不快にさせた。隣に下平が立っていたのが印象に残っている。
 今回の夢は、シチュエーションはそれに似ていたが、内容が違っていた。
 ビルはある。しかし、上田の位置は下ではなく、ビルの中だった。窓から顔をのぞかせると、真ん中あたりだということがわかる。
 あれは……?
 目を凝らすと屋上に人が立っているのが確認できた。クラスメイトで男だということはわかる。男子の制服を来ているだからだ。
 よく見えねぇ……。
 上を見ることをあきらめ、下方に目を凝らす。上田のいる位置は真ん中より下らしく、よく見えた。
「……下平じゃねぇか」
 黒い大地の上に、下平学の姿があった。羨ましそうに、空を見上げている。
 階下の窓からひょっこりと首が出てきた。クラスの誰かだ。顔は見たことあるが、名前は思い出せない。
 その隣、上、下の部屋からも顔が出てきた。みんな見知った顔だ。
 出てきた顔ぶれには接点があった。それに上田は気づく。
 みんなテストの成績が低い。上田と似たり寄ったりの点数を取るやつらだ。
 彼らは一様に上方に目を向けていた。下平と同じように、羨望や憧憬が含まれた双眸をしている。
 その異様な景色を見て、上田の中にある感覚が生まれた。
 いい気分だな……。
 胸につっかえていたものが外れたようだった。見下ろした先に人がいるというものは、なんとも気分が良い。
「……はは。そうかよ」
 自然と笑っていた。口の端から笑い声が漏れていた。
 こんなに気分がいいものなのかよ。人を見下すっていうことは。
 飽きなかった。羨ましそうに自分を見てくるクラスメイト。その光景を眺めることに。
 特に上田を楽しませたのは、下平の反応だ。彼は上を一瞥しては悲しそうに目を伏せる。
 ゾクゾクした。快感だった。
 ずっと高みにいたいな。
 そう思った。人を軽蔑できる位置にいたいと願った。
「…………」
 不意に視線を感じた。上方からだ。上田は振り返る。
 ビルの側面からいくつもの首が生えていた。全員が笑顔だ。今まさに上田が下平にしたような、侮蔑のこもった眼差しをしている。
「なに笑ってんだこらぁっ!」
 とっさに上田は怒鳴っていた。自分がバカにされていると、一瞬で見抜いたからだ。
 怒声はビルの壁面を滑って進み、真っ黒い空に溶けていった。クラスメイト達の表情は変わらない。相変わらず嘲笑していた。
 ……っくそがっ!
 上田は胸中で吐き捨てた。自分が見下されるのはなんとも気分が悪い。自身のことを完全に棚に上げ、上田は憤慨した。
 そうかよ。てめぇらは俺をバカにしてたのか。
 学校内、素行の悪い上田には誰も近寄らない。それは自分を恐れているからだと、上田は思っていた。しかしどうやら違うようだ。彼らは〈バカなやつだな〉と上田を笑っていたのだ。
 半殺しにしてやろうか?
 上田は彼らを睨む。顔を覚えておき、学校で復讐してやろうと考えた。
 ひとりひとりに鋭い眼光を浴びせていく。やがて、一番上の男と視線があった。はっきりとはわからないが、目が合ったような気がしたのだ。
 続けて、男の唇が微かに動いた気配。
「ば・か」
「っ!」
 声ははっきりと聞こえた。そしてその声は紛れもなく、クラス一の秀才、池本誠のものだった。

「このやろうっ!」
 目覚めと同時に上田は叫んでいた。勢い余って天井に頭をぶつけそうになった。

 やっぱり殴ってやろうか。
 登校中、上田は考えていた。自分をバカにしたクラスメイトにどうやって復讐してやろうかと。
 道ゆく生徒達を睨みつけながら歩く。おびえたような表情をして去っていく彼らを目で追いながら、上田は釈然としない顔になった。
 でもあれ夢ん中の話だよな……。
 途端に萎える。きつく握っていた拳をといた。
 夢のことで人を殴るなんて……アホだな。
 はぁ、とため息をついた。
 じゃあどうする? たとえ夢でも、あれはあいつらの本心だろ?
 眉間に皺を寄せる。確かにあれは夢だったが、クラスメイトが考えているのは似たようなことだという予感もあった。
 目まぐるしく表情を変化させる上田を不思議に思い、周囲の生徒達は彼をチラチラと見た。
 視線に気づいた上田は彼らをひと睨み。追っ払った。
「……あ~めんどくせぇ!」
 ムカつく。しかし、どう仕返しするかがわからない。上田はひとまずその考えを放棄した。
 もう一度ため息を吐いてから、歩く速度を上げる。上田の周りには誰もいなくなっていた。

 3
 午前の授業が終わり、最終授業が始まる前。
 ……そもそも、なんであんな夢見たんだろうな?
 結局あの夢のことを考えてしまっていた。朝からずっとそのことばかりだ。
 いつもは夢なんて見ないのに……。
 六時間目の先生が入ってきた。英語の教師で、生徒達の評判はあまりよくない。とにかく小テストが多いのだ。
「まずは前回の授業の復習として小テストをする。全員教科書をしまえ」
 げっ……。
 例外に漏れず、クラスメイト達と同じ反応を上田もした。
 配られる問題用紙と解答用紙。ざっと見た限り、上田にできそうな雰囲気ではなかった。
 終わった……。
「始め」
 開始の合図があってからも、上田のペンは走り出さなかった。
 なんとなく下平を見る。普段通り、こちらもできそうな様子ではない。
 次に池本に視線を移す。彼のペンは解答用紙の上を軽やかに滑っていた。
「こら上田、キョロキョロすんな」
 教員に注意され、上田は舌打ちしながら俯いた。視界に入る問題用紙に、頭を抱える。

 試験終了。隣の生徒と答案を交換し、採点する。上田の点数は三十点中三点。隣のやつは二十点だった。
 こりゃビリだな。
 上田は苦笑するしかなかった。

 その日の夜のことだ。上田は再び夢を見た。世界は同じで、黒い空と大地。真ん中に高いビルがそびえている。
 今回、上田はビルの中にいなかった。黒い地面の上に立ち、ビルを見上げる位置にいる。
 くそ……。またここかよ……。
 上田は辟易とした気分になった。ビルを眺めると、クラスメイトが自分を見下ろしているのだ。不愉快極まりない。
 視線をどんどん上昇させていく。屋上にはやはり男が立っていた。おそらく池本だろう。しかし今度は唇の動きどころか、姿すらも認識しづらい。
 見ていてもイライラするだけなので、顔をそらした。
 そういえば、下平はどこだ?
 思い至って、見渡す。すぐに下平を発見できた。なんてことはない。ビルの一階に彼はいた。
 事実を知り、凍りつく上田。下平が一階で、自分は地面。つまり下平の方が上にいるということだ。
 下平は笑った。前夜の夢で上田がしたように、侮蔑を含んだ瞳で。
「……おい。なに見てんだよ? あぁ?」
 許せなかった。クラス一のおちこぼれに、そんな双眸で見つめられることに。
 上田が怒鳴っても、下平は微動だにしなかった。まるでできの悪い彫刻のようだ。
「下平……。てめぇ、覚悟しろよ!」
 上田は駆け出した。一直線にビルの入口に向かう。
「な? 開かねぇ?」
 自動ドアのように見えるそれは、しかしまったく開かなかった。こじあけようとするも、びくともしない。
 拳を突き立てた。手がいかれそうになるだけだった。
 仕方なくビルから離れる。もう一度下平を見た。彼は相変わらず口元に嘲笑を携えている。
「てめぇをそっから引きずり下ろしてやる!」

 夢が終わった。上田は天井に指を突きつけていた。
「……舐めんなよ、下平」
 二段ベッドから飛び降りた。着地の衝撃で、机に積んであったプリント群が落ちる。
「……あ?」
 それらを整理してる時、上田は一枚の紙に目が止まった。
 紙には『3』と、そう書かれている。昨日の小テストだ。
 上田は思い出す。たしか、前にあの夢を見た時もテストの後だった。
「……まさか」
 ある予感が頭をかすめた。
「まさかな……」
 フッと笑ってから、上田は学校に行く準備を開始した。時間はあまりない。

 4
 一応確認してみることにした。朝の考えがまだ気になっているのだ。
 昼休み。上田は下平の机へと向かった。普段窓際に一人でいる上田が動いたことに、クラスメイト達は驚いた。
「おい、下平」
 下平は小さな弁当を摘んでいた。相変わらず陰気なやつだ、と内心上田は思う。
「……なに?」
 顔を上げる下平。昨夜の夢みたいな顔ではなく、無表情だ。
「あのよ、昨日の小テストあったじゃん?」
「……うん」
 上田の言いたいことがわからないらしく、下平は首を傾げる。長い前髪が揺れた。
「おまえあれ何点だった?」
「え?」
 こんな質問が来るとは予想してなかったらしく、下平は目を丸くした。周りの生徒達も同様だ。
「いいから、点数言ってみ?」
 上田に促され、下平は渋々口を開く。
「よ……四点だけど……」
「そうか、じゃ」
 バシッと下平の肩を叩き、上田はその場をあとにした。窓際に戻り、一人おにぎりを頬張る。
 ……やっぱりな。
 上田はニヤリと笑った。
 テストの点数だ。きっとあの夢にはテストの点数が関係してやがるんだ。
 おにぎりを丸飲みし、烏龍茶を流し込む。
 点数の高さによって、あの夢での位置が変わるってわけだ。俺や下平が最下層にいて、池本がトップとなりゃ間違いない。
 上田の頭に、池本やクラスメイトに仕返しする方法が浮かんだ。上田は烏龍茶を一気に飲み干す。
 夢で受けた仕打ちなら、夢でやり返せばいい。
 空になったペットボトルを握り潰し、ゴミ箱に放り投げた。意外に大きな音が鳴った。
 おもしれぇ。俺だってやればできるんだ。
 中間テストの結果を思い浮かべた。あの時は一晩しか勉強しなかったにも関わらず、それなりの点数だった。つまり、やればできるということだ。
 元々上田は頭の悪い方ではない。地元では有名な、この高校に入ったくらいなのだから。
 上田は池本は一瞥した。クラス一の秀才は女子数名と楽しげに会話している。
 最終目標はおまえだ、池本。
 睨みつけてから、目線をずらしていく。
 でもその前に……。
 上田の視線が、下平のところに来て止まった。
 まずはてめぇを蹴落としてやるよ、下平。
 上田は猛禽類のような顔になった。その様子を見ていたクラスメイトの幾人かが、ひっと息を呑んだ。

 勉強でいい成績を残し、クラスメイト達を見下してやるという決意をしてから一週間後。日々勉強した成果を見せる日が到来した。
 英語の小テストだ。
 昨日も勉強したし、余裕だな。
 問題用紙と解答用紙を受け取りながら、上田は不敵に笑った。
 テストが開始される。問題は主に単語、熟語を答えるものだ。多少の英作文もある。
 単語と熟語は覚えるだけでできる。ここ最近英語の授業を真面目に受けてきた上田には簡単だ。だが、英作文となると話は変わってくる。英作文は完全に応用であるため、上田はなかなか苦戦した。
 ……ま、でも真ん中以上は確実だろ。
 上田がまた不敵な笑みをこぼした時、テストが終わった。
 上田の点数は二十二点だった。やはり英作文は少し間違えていたが、それ以外は完ぺきだった。
 こいつは夢が楽しみだな。
 下平をチラッと見てから、上田は外の景色に目を移した。

 上田は想像通りの位置にいた。ビルの中ほどよりわずかに上だ。
「よしっ!」
 思わず上田はガッツポーズしていた。自分の予想が当たっていたことと、下平よりはるか上空にいたことに対するものだ。
 ……いや、こんな位置じゃだめだ。
 首を振る。
 俺の最終目標はあいつだからな。
 見上げた。屋上には、変わらず彼の姿がある。
「はっ、待ってやがれ、池本!」
 彼、池本誠に向けて中指を立てた。
 今の上田の位置からなら池本の姿がよく見える。彼は笑っていた。より鮮明にわかる嘲りの口元。
 くそが……。
 上田のいる階と屋上ではまだまだ距離があった。間にある階には、クラスメイト数名の頭が見える。
 まだまだ頂点には届かねぇか。
 落胆する上田。視線を下に戻した。下平がいる。羨ましそうな眼差しで見上げていた。
 ……でもま、いいか。今回はこの景色を楽しんでおくぜ。
 上田は自分より下の階層にいる生徒達を眺めた。蔑むように、見下すように。
 全員の顔を確認してから、再び下平に目を戻した。彼は以前、憧憬と悲哀を混ぜた顔をしていた。

 覚醒。
 ベッドから飛び降り、上田は拳を握った。
 待ってろよ、池本。次はおまえも見下してやるよ。下平みたいにな。
 知らず知らずのうちに上田は笑っていた。そのことに遅れて気づき、もう一度不敵な笑みをこぼした。

 5
 それからの上田はすごかった。小テストではいつも満点近いスコアを叩き出した。夢の中のビルでも、毎回上位の方を締める成績となる。
「…………」
 しかし、上田の表情は曇っていた。何故なら、いつも池本に勝てないからだ。テストの点数、夢の中での位置。毎回上田よりも上に池本がいる。
 上田は窓の外を眺めた。彼の気持ちを反映するかのように、空は鈍色をしている。
 なんでだ……。なんでいつも池本に勝てないっ?
 そう思うも、上田はとっくにその理由をわかっていた。原因は、単純な英語力の差だ。小テストで毎回出される英作文は応用問題なので、単語や熟語を少し覚えただけでは正答は難しい。いつも上田は英作文で減点しており、池本は正解する。下積みがある池本と、最近真面目に勉学に励み始めた上田、二人の間にある差はそこだった。
 苛立ちに顔を歪める上田。池本を一瞥してから、手元の英単語帳に目を向けた。
 池本、たしかにおまえは頭がいい。だがな……。
 ページをめくる。単語帳に載っている単語や熟語、例文には全て赤線が引いてあった。
 今回は負けないぜ?
 上田は不敵に笑った。
 今日というこの日まで、上田は英語力の底上げを図ってきた。そのため、今回のテストは負ける気がしない。
 今日は期末テストの日だった。
 上田が勝負を挑む教科は英語だ。因縁の対決に、ここで終止符を打つ心構えでいる。
 今夜こそ、てめぇを見下してやるぜ。
 試験官が入ってきた。全員に教材をしまうように促してから、テスト用紙を配る。
 紙を受け取った時、上田は自分の手が震えていることに気づいた。
 武者震いってやつさ。
「それでは、始めて下さい」
 試験官の厳かな声でテストが始まった。
 …………。
 ざっと問題全体を見渡した上田。不敵に笑う。
 用紙に名前を記入し、ペンを走らせていく。澱みない動作。上田はあっという間に解答を終わらせた。
 一つ息を吐き、もう一度テストを見直す。ケアレスミスなどがないように入念にチェックした。
 よし。
 ゆっくりとペンを置いた。
 俺の勝ちだ、池本。
 ライバルの横顔を確認。上田は口元を歪めた。

 テスト結果をこんなに心待ちにしたのは初めてだった。
 一週間後、上田は英語の答案用紙を返却された。
 池本の点数は九十八点。周りの女子達が騒いでいたので、上田は知っている。
 唾を飲み込んだ。祈るような気持ちで、上田はテスト用紙を裏返した。
「…………」
 点数は、百点。つまりは満点だ。
 ぃよしっ!
 ガッツポーズをしたいのを我慢し、上田は自分の席についた。
 勝利宣言をするのはここじゃない。今晩、夢の中でだ。
 ついついニヤけていた。好奇の目を周囲の生徒達に向けられていたことに気づき、上田は笑顔を消す。
 夢が楽しみだ。
 視線から解放されると、上田はまた笑った。

 二段ベッドの上。上田は眠りにつこうとしていた。現在時刻は午後十一時。普段より早い時間だ。
 上田は瞼を閉じる。
 興奮しているので眠れないのかと思いきや、意外にもすぐに眠ることができた。きっと連日の勉強で疲れていたのだろう。
 始まる夢。
 現実世界で眠り、夢世界で上田は目覚めた。
 …………ん?
 視界一面が真っ黒だった。空だ。夢の中にある暗黒の空を、上田は見上げているらしかった。
 硬い感触が背中にある。どうやら寝転がっているようだ。
 〈寝転がってる〉? 〈上になにもない〉?
 鼓動が速くなっていくのを感じた。自分が柄にもなく緊張していることを悟る。
 俺が以前のように地面にいるなら、そこから見上げているなら、必ず視界にビルが入ったはずだ。でも、今はビルが見えない。
 ……ってことはっ!
 上田は跳ねるように起き上がった。急いで辺りを見渡す。
 コンクリートの床が続いていた。そしてそれは途中でなくなっていた。その先には、真っ黒い空が遥か彼方まで広がっている。
「屋上だ……屋上だっ!」
 上田は思わず叫んでいた。声は色のない虚空に吸い込まれる。
「はは……やった。やってやったぜっ!」
 上田は屋上を走り回った。勢い余って屋上のへりから落ちそうになった。
「……危ない危ない」
 端から一歩後退し、深呼吸。気持ちを落ち着かせる。
 ここからが本番だ。
 ニヤリと笑った。口元を歪めたまま、今一度屋上のふちまで歩いていく。
 一呼吸置いて、下を一気に見下ろした。
 「っ……!」
 息を呑む。しばし呼吸ができないくらいに。
 す……すげぇ……。
 壮観だった。クラスメイト全員が自分より下にいる。自分を見上げている。
 全身が麻痺したように震えた。快感という言葉を、上田は初めて知った。
 窓から顔をのぞかせ、上を、つまり、上田を見ているクラスメイト。全員の瞳に羨望と憧憬、悲しみが含まれていた。
 彼らは、まるでビルという鉄の塊から生えている、植物のようだ。生首の大草原。その光景に、上田は恐怖すら感じていた。
 しかし、震えていた口は、段々一つの形をとり始める。口角がつり上がり、その表情となる。
 笑顔。
 爽やかな、にこやかな、明るい笑顔ではない。嘲るような、蔑むような、歪んだ笑顔だ。
「……はっ! バカどもがっ!」
 上田は咆哮していた。一番近い位置に生えている池本から、床に立っているであろう下平にも聞こえるように大声で。
「てめぇら、俺を散々馬鹿にしやがって! てめぇらの方がよっぽど馬鹿なんだよ!」
 上田は今まで気にしていないつもりだった。自分が影で蔑まれていることや、馬鹿にされていることなどを。
 しかし、実際は気にしていた。苛立っていた。その想いが、今言葉となって吐き出されているのだ。
「池本! 俺はおまえさえ下に見る存在だ! 俺はこのクラスの頂点だ!」
 抑圧されてきた気持ち。溢れ出る。
「俺はおまえ達の王だっ! もう俺を軽蔑することはできないぞっ!」
 一通り騒ぎ散らすと、今度は笑い出した。
 轟音のような声は、真っ黒い世界を震わせる。
 上田は破顔しながら、屋上の端ギリギリまで向かった。下平の姿を確認しようと、見下ろす。
 くそ……。よく見えないな。
 屋上からでは、床にいる下平をはっきりとは確認できなかった。
 あいつを一番馬鹿にしたかったのにな……。
 目を細める。まだ見えない。下平がどんな表情をしているかわからなかった。
 めんどくせぇ……。
 上田はしゃがんだ。それでも見えない。仕方ないので、声を張り上げることにした。言葉によって下平を軽蔑するつもりなのだ。
「下平っ! てめぇはなぁ、クラスで一番……いや、世界で一番の……」
 クズなんだよっ!
 そう叫ぼうと、身をわずかに乗り出した時だった。
 上田は体勢を崩した。前に倒れていく。真っ黒い世界に飛び込んでいく。
 落下。
 落下していた。
 まるでスローモーションのように、ゆっくりと落ちていく。
 落ちていく。
 墜ちていく。
 通り過ぎる、クラスメイト達のいくつもの顔。上田には、彼らが笑っているように見えた。
 てめぇら……笑ってんじゃ……。
 ぐしゃり。
 そんな音がした気がした。
 痛みはなかった。そもそも感覚がなかった。
 体温を感じない。
 視界がはっきりとしない。
 指の一本も動かせない。
 ただ脳が沈黙していく様子だけが、ただ体が壊れていく感覚だけが、鮮明にわかった。
 閉ざされていく。
 全てが閉ざされていく。
 命が消えていく。
 ああ……俺は死ぬんだな……。
 ゆっくりと、しかし確実に死に近づいていく。高い高いビルから落ちるように、意識はまどろむ闇の中へと沈んでいく。
 消え入る寸前。
「上田くん、君は地面に寝転がってるんだ。僕より下にいるんだね」
 下平の声が聞こえた。いや、聴覚は壊れているので、上田の勝手な想像か。
 やがて、上田の脳は思考することをやめた。
 完全に溶ける。闇の中へと。闇の中へと。

 6
 夜が明けた。
 ある家の一室。
 上田昇は死んでいた。二段ベッドの上から転落し、首の骨を折って絶命したのだ。
 もう彼が目覚めることはない。
 動くことをやめた上田の双眸は、真っ白い天井を見上げていた。

おわり
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