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『偽り』(小説)

 1
 一城希美(いちじょうのぞみ)は殺人事件が好きだった。
 と言っても、現実での話ではない。物語の中で、だ。
 大多数の人と同じく、現実で起きている殺人には希美だって嫌悪感を覚える。殺人事件なんてなくなればいいと考えている。むしろ一般の人よりもその思いは強いかもしれない。
 しかし、それ故、希美は物語内での殺人が好きなのだ。何人死のうが、それは架空の物語だから、と割り切ることができる。
 殺人を楽しむ上で、希美が好むのは小説だ。何故なら、小説は偽りのリアリティを味わうことができる。頭の片隅では『こんなことは現実にない』と思いながら、作られた現実を楽しむのが希美は好きなのだ。
 そんなわけで、本日も希美は読書に明け暮れていた。
 昼休み。多くの生徒が騒ぐ教室で、希美はページをめくる。
 おもしろい……。
 希美は口元を緩めた。
 今日読んでいる本も、もちろん殺人事件を扱ったものだ。論理的な推理が展開される、本格ミステリだ。
 こんなオチだったなんて……。
 最後まで読み終わり、本を閉じる希美。本を抱くように胸に当て、瞳を輝かせる。まるで恋する乙女のようだ。
 周りの生徒達がそんな希美を見て、気味悪そうに顔を歪めた。
 希美に友達はいない。いつも本ばかり読んでいて、誰とも話さないからだ。必然、友達などできようはずがなかった。
 それでもいい、と希美は考える。その方が静かに読書できるとさえ思っていた。
 友達なんていらない。現実なんてつまらない。
 希美は現実が嫌いだった。現実には物語のような刺激がない。あっても気分を害すようなものばかり。
 笑い合っている生徒達を見た。
 なにがそんなに楽しいんだろう?
 理解できない。現実で笑顔になる瞬間など、希美にとっては本を読んでいる時しかないのだ。
 教室の喧騒から目を逸らし、窓の外へと視線を移した。
 あぁ、もう一つあるな。わたしが笑顔になる瞬間。
 青空。
 希美の目の前に、澄み切った青空が広がっていた。秋から冬に変わるこの季節。空気が透明で、空の青は一層鮮やかになる。
 太陽に照らされて輝く雲のように、笑顔になる希美。
 この世界は好きなんだけどな……。
 背後がまた騒がしくなった。希美が振り返って見てみると、顔を真っ赤にした男女がいた。男が女になにかを喋っている。どうやら周りの生徒にせき立てられ、告白させられているようだ。
 ……くだらない。
 あからさまに不快を顔に出してから、希美は視線を景色に戻した。
 教室での騒ぎなどまるで気にせず、世界は回る。雲は雄大な流れで進んでいく。
 世界は綺麗で素晴らしいのに、なぜ人間はこんなにも醜いのか。希美が以前から抱いている疑問だ。人間は醜い。だから嫌いだった。
 あ、もしかして……。
 希美は気づいた。自分は人間が好きではない。それ故に、殺人事件を好むのではないか、と。
 現実では嫌いな人間を殺せないから、小説の中で人が死ぬのを見る。現実で起きる殺人事件に吐き気をもよおすのは、被害者に同情しているからではない。事件の犯人を嘆いているからだ。いくら醜い人間を殺したくても、自分が醜くなっては意味がない。
 殺人衝動がある。しかし現実ではそれが叶わないから、小説の中で満たす。
 つまりはそういうことのようだった。自分の考えに、希美はようやく気づいた。
 そっか。本当は、わたしは人を殺したいんだ。でも自分もその人間と同じになりたくないから、自制してるだけなんだ。
 希美が口元を歪めた時、チャイムが鳴って休み時間が終わった。

 2
 帰りのホームルームが終わると同時、希美は教室を出た。クラスに残っていてもなにもない。廊下を足早に進んでいく。
 目的地は図書室。普段、希美は図書室を利用しないが、本日は違った。読みたい本があるのだ。それは古いものなので本屋よりも図書室にあると踏み、そこに向かっているのだ。
 四階にある図書室の扉を開け、中に入る、授業が終わったばかりなので、人はほとんどいない。カウンターにいる女性と、本を物色している二、三人だ。
 文庫のコーナーは……。
 辺りを見渡し、文庫コーナーを発見。近寄り、本棚を端から眺めていく。本は作家順に並べられているようだ。
「あ……あ……」
 希美が探している本の作家名はあ行。すぐに見つけることができた。その人物の多くの作品が並列している。
「……あれ?」
 順番に確認していったが、希美が望んでいた本はなかった。もう一度見直してみる。やはりない。
 おかしいなぁ……。
 希美は首を傾げた。目当ての作品はその作家の代表作だ。これだけその人物の本があるというのに、代表作がないなんて不自然だった。
 誰か借りてるんだ。
 思い至った。そう考えれば、並んでいる本と本の間にあるわずかな隙間にも納得できる。
 ……どうしよう?
 新装版の興奮覚めやらぬうちに読みたかったのだが、ないなら仕方がない。希美は退室することにした。
 古本屋にでも行ってみようかな。
 そんなことを思案しながら、扉を開いた。廊下を進んでいく。
 反対側から男子生徒が歩いてきた。本を小脇に抱えているので、図書室に向かうのだろう。
 すれ違う瞬間、希美はなにげなくその本を一瞥。目を見開いた。
 ……え? あれは……。
 そんな彼女をまったく意に介さず、青年は歩いていく。もう少しで図書室に入ってしまう。
「ま、待って……!」
 とっさに希美は叫んでいた。声が結構響いてしまったことに気づき、すぐに顔を伏せる。
 青年が振り返った気配がした。
「なに?」
 青年の言葉に、希美はビクッと小さく跳ねた。上目遣いで彼を見る。
 爽やかな青年だった。短めの黒髪、長身が活発な雰囲気を醸し出し、およそ本を読むようには見えない。しかし彼が持っているのは本だった。しかも、希美が読みたかったあの本だ。
「えと……なにか用かな?」
 希美が目をパチクリしていると、青年が問うた。またビクッっと反応する希美。
「あ、あの……その本」
「ん?」
 希美の指差した方向に視線を移し、青年は本を掲げた。思った通り、それは希美が探していた本だった。
「この本がどうかしたの?」
 口で言うよりも、希美は態度で示すことにした。鞄から、先程読み終わったばかりの本を取り出す。
「あ」
 出てきた本を見て、青年は驚いたように口を開けた。何故なら、彼女の持っていた本が、自分の借りたものと同じタイトルだったからだ。
「同じ……じゃない?」
 二冊の本を見比べ、青年は首を傾げた。
 そこでやっと希美は口を開く。
「これは新装版で……そっちは初版のやつ」
「え? あ、そうなんだ……」
 まだ希美の意図が読めず、青年は首を曲げたままだ。希美は急いで言葉をつけ足す。
「それで……あの……新装版読み終わったから、古い方も読みたくなって……」
「ああ、そういうことね」
 青年はにこやかに微笑むと、自身の持つ本を差し出した。
「え……あの……」
 青年が自分の意思を正しく理解してくれて嬉しかったが、感謝することができない希美。困惑しているのだ。今の自分の気持ちがよくわからない。
 な……なんで? なんで……。
 胸を軽く押さえた。
 なんでこんなにドキドキしてるんだろ?
 希美の心臓は早鐘のように鳴っていた。顔も少し熱い。
 この気持ちは? ワクワクしてるような……喜んでるような……。
「あれ? 俺の持つ初版が欲しかったのかと思ったんだけど……違ったかな?」
 ……初めて経験する気持ち……。
「あのー?」
「…………」
「あの!」
「は、はいっ?」
 すぐ目の前に青年の顔があった。
 真っ赤になる顔。それを自覚し、さらに朱色になる。
「え……あの……その……」
 慌てふためく希美の前に本が現れた。青年が差し出した物だ。
「はい、これ。読みたかったんでしょ? 貸してあげるよ。締切まではまだあるから」
 ポンと希美の手に本を乗せた。
「あ、それとも自分で借りる? その方がいいよね。期限明日までだし」
 本を再び回収し、図書室に向かう青年。そのブレザーの裾を、希美が掴んだ。
「そ、そのままでいいよ。すぐに読んで明日返すから……」
 わたしはなんでこんなこと言ってるんだろ? 彼が言ってくれた方法の方がいいのに……。
「そう? じゃあ貸しとくよ。明日俺に返してくれ。俺、君の隣のクラスだから」
 もう一度青年は希美の手に本を置いた。
「あ、ありがと……ってあれ?」
 目をパチクリする希美。
「わ、わたしのこと知ってるの?」
 立ち去ろうとしていた青年は、バツが悪そうに振り返った。
「……あ、うん、知ってるよ。一城希美さんでしょ?」
「そうだよ……あ」
 明るかった希美の表情が、途端暗くなる。
 そうだよね。わたしを知ってても不思議じゃないよ。わたしは……。
「どうしたの?」
 急に沈痛な面持ちになった希美を心配する青年。希美の肩を掴むため、とっさに手を伸ばす。
 その手を、希美は優しくどかした。
「わたしは有名だもんね。みんなから気味悪がられてるし……」
 本ばかり読んで人と話さない。希美は変人とみなされていた。クラスだけでなく、学年でもそれは知れ渡っている。
 ……この人もきっとそう。本心ではわたしを変な人だと思ってるに決まってる。
 本を胸に抱き、希美は歩き出した。その足取りはなんとも重い。
 どうして? わたしはそんなの気にしてなかったはずなのに?
 人に嫌われるのは慣れているはずだった。しかし、何故か、何故だか青年に嫌われるのは胸が苦しかった。
「違うよ」
 青年の言葉。希美は振り返る。
「違うんだ。別にそれで一城さんを知ってたわけじゃない」
「え?」
 青年は少し気まずそうに頬をかいた。
「その……一城さんはよく学校近くの本屋にいるよね。しょっちゅう見かけてて……。それで気になって、クラスのやつに訊いたんだ。一城希美さんって名前はそこで知った。なんか……ごめん。気持ち悪いよね」
 俯く青年。
 沈黙が生まれた。
「…………」
 わたしのことが気になった? 気味悪がる以外の理由で?
 見開いた目で、しばらく希美は青年を見続けた。
 静寂を破ったのは、意外にも希美の声だった。
「あの……あなたの……」
「……え?」
 青年は顔を上げた。目の前には希美の顔があった。いつも彼女がしているような無表情ではない。控え目な、しかし笑顔だ。
「あなたの……名前は?」
 少しの間、青年は呆然と希美を見つめていたが、やがて笑みを作る。
「えと……俺は天間望(てんまのぞむ)って言います。よろしく」
 恥ずかしそうに青年、天間望は手を差し出した。
「……う、うん。……よろしく」
 おどおどした様子で望と握手をする希美。彼女は気づかなかった。その時の自分の顔が、真っ赤になっていることに。
 これが一城希美と天間望の出会いだった。

 3
 それから、二人はよく一緒にいた。学校の休み時間、読んだ本の感想を言い合うのがもっぱらの日課だった。
 時には二人で出かけたりもした。学校近くの本屋に始まり、駅前の図書館、たまに喫茶店などにも行った。
 本という物を介して、二人はどんどん親密になっていった。
 次第に周りの希美を見る目も変わってくる。普通の女子高生のようにしている希美を見て、気持ち悪いと言う生徒などいなかった。むしろ、クラスでも人気の高かった天間望との交流は、一部の女子に羨まれた。
 最近の二人はさらに進展していた。毎日のように一緒に帰っている。
 そして今日も。
 放課後。温かい日差しの中を、希美と望が並んで歩いている。
「昨日ね、電車に乗ってたの。そしたらね、わたし達がこの前読み終わったばかりの本を読んでる人がいたんだ。すごい偶然だよね」
 望と過ごすうちに、希美はよく話すようになっていた。学校では相変わらず無口だが、望の前では饒舌になる。そのことに、本人はあまり気づいていなかった。
「あんな古い本、読んでる人いるんだ」
 望はわずかに眉を押し上げた。
「そう、驚きだよ」
「あの話おもしろいもんね」
「うんうん。特に最後の……」
「ああ、あそこな。あそこはさ……」
 微笑み合う希美と望。今の時間が本当に楽しいと、二人の態度が物語っていた。
 朱に染まる空が二人を包む。寄り添う影がアスファルトに長く伸びている。
 しばらく無言で歩く二人。次第に距離が近づいていき、互いの指先が触れた。
 一瞬だけ顔を見合わせてから、視線をすぐに逸らす。少したってから同じタイミングでチラ見。再び目が合ったので、これまた横を向く。
 そんなことをしている間に、二人がいつも別れている地点にさしかかった。
 あ~あ、もうお別れか……。
 少し肩を落とす希美。
「えと……じゃあね」
 頬を染めつつ、希美は控え目に手を振った。
「…………」
 普段なら望も手を振り返すところなのだが、今回は違った。神妙な顔で希美を見つめている。
「……どうしたの?」
 不審に思い希美が尋ねると、望はためらいつつも口を開いた。
「……実はさ、俺、最近小説を書いてるんだ」
 そっぽを向く望。どうやら視線を合わせたくないようだ。
「え? そうなの?」
「……うん、ほんと。毎日小説を読んでたらさ、書きたくなったんだ。すでにもう書いてて、あとちょっとで完成しそう」
 恥ずかしそうに頭をかく望の前に、希美が回り込んだ。
「すごい! すごいよ! 望君、作家だね!」
「……いや、そんな大したものじゃないよ。作家の真似事してるだけだって」
 望は肩をすくめた。
「ううん、すごいよ。わたしも何度か書こうと思ったけど、すぐに挫折しちゃったから。とにかくすごいよ」
 希美はキラキラと瞬く瞳を望に向けた。それには羨望と尊敬が含まれていた。
「……そ、そうかな?」
 やっと望は希美と向かい合った。それに合わせて頷く希美。
「うん、そうだよ。だから、完成したら絶対わたしに見せてね?」
「やっぱりこうなったか。希美ちゃんはたくさん小説を読んでるからな。厳しい意見をくれそうだ」
「多分そうだろうね」
 希美の返答に、望は苦笑するのだった。
「ま、あと何日かしたら完成だから、その時見せるよ」
「わかった、楽しみにしてるね」
 希美は笑顔を溢れさせた。あまり変化のない彼女の表情の中で、それは一番の笑みだった。
「……えとさ、お手柔らかに……ね?」
 望はもう一度苦笑した。それから希美と視線を交わし、笑った。
 しばし笑い合う二人。空がオレンジから紫に変わり始めるまで、ずっと話をしていた。

 家までの道を一人で歩く希美。彼女の頭の中は望のことでいっぱいだった。
 やっぱり……ドキドキが大きくなってる……。
 望に会ったあの日以来、希美は胸が日に日に高鳴っていくのを感じていた。最近では自分の心音が聞こえるほどだ。
 ほんとになんなんだろう、この気持ち?
 夜空と言えるほど暗くなった空を見上げてみる。もちろんそこに希美が求める答えは記されていなかった。
 自分の気持ちが読めないなんて……不思議。
 クスッと笑う。
 でも、いつかわかるよね。もっと望君と一緒にいたら、きっとわかる。
 スキップしてしまいそうな気分だった。
 望君の書いた作品、どんなのかな? 推理小説が好きだから、やっぱり推理かな? それともホラー? まさかの恋愛もの?
 考えれば考えるほどワクワクした。
 ふと、希美は振り返る。もうとっくに見えなくなった望を求めるように、遠くを眺めた。
 しばしそうしてから、希美は家路についた。

 4
 それから少し経って、望の小説が完成した。できあがった作品を読むため、希美は望の家を訪れた。
 ……き、緊張する……。
 なんの変哲もない一軒家を前に、硬直する希美。
 と、家のドアが開かれた。
「さ、希美ちゃん、入って入って」
 中から出てきたのは望だ。小説ができて嬉しいのか、興奮している。
「お、おじゃましまーす……」
 小さく頭を下げてから、希美は家に足を踏み入れた。望の部屋へと向かう。そのドア前でも緊張したが、望に後押しされ、中に入った。
「さっそくだけど、読んで欲しい」
 希美の前に原稿が置かれた。原稿用紙四十枚くらいだ。室内を眺めるのもそれなりに、希美は読み始める。
 あれ……?
 開始してすぐ、眉を寄せた。登場人物が『希(のぞむ)』、『望美(のぞみ)』と、自分達に似ていたからだ。
 チラリと望を窺うと、彼は最近一緒に買った本を読んでいた。話しかけられる雰囲気ではない。
 仕方なく読み進む。
 またも眉を寄せる。シチュエーションも今の自分達にそっくりだったからだ。
「…………」
 しかしやはり望に話しかけることはできず、とにかく最後まで読むことにした。
 物語が進むにつれ、希美の表情はどんどん険しくなっていく。そして、読み終わるころには、怒りの形相になっていた。
「望君っ! ちょっとこれどういうことっ!」
 立ち上がる希美。望の本を取り上げた。
「……どういうことって?」
 望は冷めた目をしている。
「なんなのこれっ? わたしが望君を殺すなんてっ……!」
 望の書いた作品の中で、希美にそっくりの人物が望そっくりの人物を殺していた。その理由は、希美そっくりの人物が殺人小説を読み過ぎて、実際に人を殺したくなったというものだった。
「こんなのひどい……ひどいよっ!」
 希美は原稿を投げた。望に当たった原稿が、床の上にバラバラと落ちた。
「ひどい? どうして? 俺は最初からこういう作品を書きたくて君に近づいたんだよ?」
「…………え?」
 心臓がドクンと跳ねた。
「本屋で君を見かけた時、君はいつも推理小説や殺人事件ものを見ていた。それを眺めてるうちに、俺は閃いた。殺人事件が好きな女が本当に殺人を犯してしまうというストーリーをね」
 望は笑顔だった。しかし、それは今まで希美が見たことのないものだった。
「だから君に近づいたんだ。インスピレーションを君から得るために、小説のリアリティを出すために」
「…………け?」
 希美の口から漏れた言葉は、あまりに小さい。
「え?」
 望が身を乗り出した。希美は震える唇をもう一度動かす。
「……それだけ? わたしに近づいたのはそのためだけ……?」
「ああ、そのためだけ」
 望は即答した。絶句する希美に向け、さらなる言葉を吐く。
「それ以外に君といる理由はないよ。君みたいな陰気なやつとね」
「…………」
 絶句だった。希美はなにも口にすることができず、息もできず、黙した。
 希美の胸を埋めたのは、怒りでも悲しみでもなく、虚無感だった。
「どうだい? なかなかのできだろ? ぜひ、殺人小説ばっかり読んでる君に、感想を聞きたいね」
 望は、青い顔をしている希美の肩を叩いた。その口元には今まで希美が見たことのない笑みが浮かんでいた。
 ……ううん。
 原稿用紙の散らばる床を凝視しながら、希美はわずかだけ首を振った。
 きっとわたしが気づいていなかっただけ。彼はいつもこんな顔をしてたんだ。
 望を一瞥した。彼は相変わらず口元を歪めている。
 バカだな、わたし。舞い上がってて全然気づけなかった。
 もう一度、望を見つめる。その視界が歪んだ。
「もっと……」
 そう動く唇は震えていた。
「もっと……仲良くなりたかった……」
「そうかい。俺は仲良くなる気なんてさらさらなかったけどな」
 あきれたように肩をすくめる望に構わず、希美は言葉を紡ぐ。
「もっと仲良くなって……」
 望の瞳をまっすぐに見つめた。
「もっと仲良くなってから……殺したかったのに」
「…………え?」
 静寂。
 一拍置いて、望は聞き返す。
「今……なんて?」
 希美は一歩踏み出した。
「だから、もっと仲良くなってからあなたを殺したかったなって。だってその方が興奮しそうじゃない? ゾクゾクしそうじゃない?」
 笑った。希美は笑った。先程の望より凄絶で凄惨な笑みを浮かべて。
 希美が笑っている間、望はなにもできなかった。変貌した希美を、ただただ眺めることしかできなかった。
「もう、計画が台無しだな~。雰囲気ぶち壊しだよ。抱き合ったりした時に刺そうと思ったのに。これで」
 そう言って希美が服のポケットから取り出したのはナイフだった。小振りだが、その刃は人一人を殺すには十分過ぎる鋭さだった。
「ま、いいや。人を殺せれば」
 呟く希美の顔が、歪んだ顔が刃に映った。
「…………」
 望は思わず後ろにさがった。すぐに壁に背がつく。
「……それじゃあ、死んで?」
 希美は望と一気に距離を詰めた。そして、その刃を彼の胸に突き立てた。
 呻き声を上げ、ガクガクと震え、望は倒れた。胸から溢れ出した血が、床の原稿用紙を真っ赤に染めていく。
「あは……あはは……あはははははははははは!」
 血の大地に立ちながら、希美は狂ったように笑った。

 5
 『血の大地に立ちながら、希美は狂ったように笑った。』。
 その小説を終わりまで読んだ『希(のぞむ)』は、極限まで顔を歪めた。見開いた目を、その小説の作者、『望美(のぞみ)』に向ける。
「こ……これ……どういうこと?」
 望美が書いた小説の内容を思い出し、希は体を震わせる。
 その小説には、『望(のぞむ)』と『希美(のぞみ)』という男女が出ていた。二人は名前、性格から明らかに希と望美をモデルにしてできていた。作中で希美が望を殺し、その物語は終わる。
「……どういうことなんだよ?」
 嫌な汗を背に感じつつ、希は今一度尋ねた。首を傾げる望美。
「どういうこと? そういうことだよ。わたしは殺人小説が好き。だから小説の中で人を殺したいと思った。そのモデルに君を選んだ。ただそれだけ」
 普段より口数の多い望美。彼女は興奮していた。自分の計画した殺人が完遂されたという感動が、胸を埋めていく。
 ……あれ?
 しかし、まだなにかが足りなかった。望美は胸を押さえ、怪訝な表情になる。
「……ひどいよ、望美ちゃん。俺は……俺は君が好きだったのに……」
 希の言葉が、望美の心を揺さぶる。
 ……なに? なんでこんなにドキドキしてるの?
 胸に当てている掌に、心臓がドカドカとぶつかる。
「俺はこの小説のことを嘆いてるわけじゃないんだ。望美ちゃんが俺のことをなんとも思ってなかったっていうのが……悲しいんだ……」
 希の頬を伝う光の粒。望美の心臓がさらに暴れた。
 なに? なんなの?
 肋骨を突き破るほどの鼓動。望美の混乱が加速した。
 そんな様子など知るよしもない希は、ひたすらに心の吐露を続ける。
「一目惚れだったんだ。初めて君を見た時から、ずっと君が好きだった。だから本屋にもよく通った。君がいつも読んでる推理小説を読むために図書室にも行った。全部……全部君と繋がりを持つためにやったことだ。君と仲良くなれるようにっ!」
 叫ぶ希。その両目から涙がこぼれた。
 涙も鼻水もグチャグチャになった希の顔を見て、望美の中に生まれる想い。
 ……ああ、そうか。
 望美はまっすぐに希を見た。
 だから……だからこんなに胸がドキドキしたんだ。やっとわかった。
 穏やかな笑みを浮かべる。
 わたしは希くんのこと……。
「希くん……あの……ごめんね」
 希が俯けていた顔を上げた。涙で濡れた瞳には、期待が込められている。
「……望美ちゃん?」
 途端、黙り込む望美。希は少しだけ望美に近寄った。
「……わたし……わたしね……」
 望美は上目遣いに希を窺う。
「うん……なに?」
 さらに希は距離を詰めた。望美と息が触れ合う。
「わたしね……希くんのこと……」
 ずぶり。
 腹に感じた違和感。希が自らの腹に視線を送ると、そこは血に塗れていた。突き立った銀の刃を中心に、血が広がっていく。
「のぞ……み……ちゃん……?」
 膝から崩れ落ちる希。出血したところを押さえながら、望美を見上げる。
 望美は笑っていた。口を裂けんばかりに曲げ、笑っていた。
 その手は、先刻までナイフを握っていた手は、真っ赤に染まっている。
「ごめんね、希くん。わたし、やっとわかったの。わたしは小説の中じゃなくて、現実で人を殺したかったんだってね。殺人小説が好きだったのは、人を殺したいのにできないもどかしさの表れだったんだよ」
 希は一度大きく目を見開いてから、倒れた。床に落ちていた原稿を血に染め、その中に埋もれた。
「……あは……あははははははははははははははははははははは!」
 望美は笑い声を上げた。
 目の前に広がる赤い光景。
 胸を満たす快感。
 これだよ。これが欲しかったんだよっ!
 甲高い笑い声は、その後しばらく続いた。

おわり
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