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『カギビト』50(ライトノベル)


 舞台袖からステージに現れた青年の姿を見て、楽美、愛凛、正則は笑顔になった。
 楽美は場所をあける。そこは、今登場した青年の場所だ。
 蒼いギターを肩に背負い、ヘッドフォンを首にかけた青年。そう、『クール』こと氷鉤蒼眞の場所だ。
 蒼眞はマイクスタンドの前に立ち、全力で叫んだ。
「遅れて悪いな! さっそくいくぜ! 『STARTER』!」
 蒼眞の雄叫びで、曲が始まる。ハイスピードなナンバー、『STARTER』だ。
「わあああぁぁぁあぁぁぁぁぁー!」
 観客の大絶叫で、ステージ全体が大きく揺れた。
 クランチに設定した音で、蒼眞はギターを掻き鳴らす。トップノートだけを変え、曲のテンションを保った。
 そこに愛凛のブライトで伸びのある旋律が乗る。
 正則はフットペダルを二つ使用し、バスドラムをテンポよく叩いた。
 楽美はエイトビートをパワフルに刻み、曲の地盤をしっかり固める。
 バンドメンバー全員の心が揃った時、『コバルトブルー』は完成間近となる。後一つ、涼やかな声がメロディに 乗れば、完成だ。
 蒼眞は歌い始める。
 テクニカルなミュートを絡めたリフが目立つAメロ。
《ここから始まる君のストーリー
 ノンストップで駆け抜けよう
 いつも前を見て 振り返らず 走ってみたい》
 ベースラインが鮮やかなBメロ。
《悲しいこともやっぱり起きるけど 関係ないんだ
 行けるところまで
 最終的には翼はためかせ 大空飛び出せ》
 疾走感が爆発するサビ。
《この広い世界は僕だけの 君だけのもの
 遥か先の未来を手に入れてみせるよ 必ず》
 衰えるどころか、さらにテンションを上げていく二番。
《終わることのない君のストーリー
 次のステージへ突き進もう
 いつも前向きで クヨクヨせず 笑っていたい
 辛い世界が立ち塞がるけど 関係ないんだ
 行けるところまで
 最終的には君だけの夢を掴め
 掴む
 この眩しい光は僕だけの 君だけのもの
 まだ見ぬ明日へ飛び出して
 Yeah》
 蒼眞が叫び、愛凛のギターソロが始まる。抜けのいいサステインは観客の心に鮮やかな光を想像させた。
 ソロの終わり近く、蒼眞と愛凛のギターがユニゾン。オクターブ違う音達が共演した。
 『コバルトブルー』が、観客が、最も盛り上がるサビ。
《この広い世界は僕だけの 君だけのもの
 遥か先の未来を手に入れてみせるよ 必ず
 ああ 闇の果てに見えるだろう 輝く光が》
 最初のアルペジオに戻り、曲が終わった。
 それでも、終わらない。
 終わらない。
 曲は終わっても、終わらない。
 興奮が。
 歓喜が。
 感動が。
 終わらない。
 観客は、いや、『コバルトブルー』のメンバーでさえ、息を呑んだ。
 拍手は起きない。
 起こせない。

 鮮やかに紡がれた曲は、聴いていた人々に様々な想いを抱かせる。
 清谷舞依はこれから友達ともっと仲良くしようと思った。緋色や、蒼眞や、木塚や、佐山とさらに絆を深めようと誓った。
 小橋楽美はもう一度プロのベーシストを目指そうと決意した。やっぱり音楽は楽しいと、心の底から感じた。
 桐崎将悟は自分の胸に刻む。強くなる、と。自分に負けないように強くなると、欲望に負けないように強くなると。
 夏代朱色は生きていくと決めた。緋色とともに、蒼眞とともに、彼らと同じ世界で生きていくと決めた。
 佐山春雅は人間の強さを感じた。人間はこんなにも眩しいのかと驚き、自分もそんな人になりたいと望んだ。
 夏代緋色はもっと誰かの闇を取り除いてあげようと思った。大事な人達のためにもっと努力がしたいと思い、想った。
 氷鉤蒼眞は改めて気づいた。闇の果てには必ず光があると、そう気づいた。
 闇を乗り越えた人は再び、以前より輝きを増すことができる。現に、蒼眞が見てきた人達はそうだった。
 だから、蒼眞は思う。
 闇は人を強くするために必要なのだ、と。
 つまり、闇は最初から消されるために存在している。人が乗り越える壁としてあるのだ。
 蒼眞はそう確信できた。
 なぜなら、闇の果てには必ず光があったから。必ず笑顔があったからだ。

 静まり返ったホールで、蒼眞は不敵に笑う。
「じゃあ、二曲目いくか?」
 涼やかな声を皮切りに、歓声が湧き上がった。

おわり
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『カギビト』49(ライトノベル)


 『ロッカーズロッカー』。Aホール。ステージ上。
 ライブ開始まで五分を切った。
「どうしよ~。もうお客さん来てるよ」
 ステージにかけられた幕の間から、楽美は外の様子を窺った。ホール内はすでにラッシュ時の満員電車のようだ。
「ひ、氷鉤先輩……」
 すでに準備を終えている愛凛は、ギターのネックをギュッと握った。
「まったく蒼眞くんは……。ヒーローは遅れて登場するとでも言いたいのかな?」
 軽口を叩く正則も声のトーンは低め。少なからず蒼眞を案じているようだった。

 Aホール。ステージ近く。
「氷鉤くん……」
 緋色は呟いた。
 もう一つ、彼女の脳内でも呟き。
[蒼眞くん……。やっぱりなにかあったのかな?]
 朱色の声はどうしようもなく小さい。
 二人の少女は、揃って俯いた。
「ひーいろ!」
 緋色の背中に、快活な声が浴びせられる。
「舞依ちゃん……?」
 振り向いた緋色の前にいたのは、清谷舞依だった。
 舞依は半ベソの緋色を見ると、表情を曇らせた。
「緋色、どうしたの?」
「うん……氷鉤くんがまだ来てなくて……。このままじゃライブ中止になっちゃうし、もし、氷鉤くんになにかあったんなら心配だよ……」
 シュン、と緋色は小さくなった。
「たしかにそれは大変ね……でも」
 舞依は緋色の肩をポンと叩く。
「大丈夫よ。氷鉤は来るわ」
 やけに自信たっぷりと告げる舞依に、緋色は眉を寄せる。
「どうしてそんなこと……」
 と、そこで緋色に疑問が生まれた。
「あれ? そういえばなんで舞依ちゃんがいるの?」
 当然の質問に、舞依はシレッと答える。
「氷鉤に誘われたからよ」
「え?」
 目を丸くする緋色。
[まさか、蒼眞くん、舞依ちゃんのことが……]
 動揺する朱色。
 彼女の不安は、次の舞依の言葉で解消された。
「なんかあたし以外にもチケット渡してたわよ。たしか、桐崎だったかしら?」
「?」
 緋色の疑問はさらに膨れ上がった。

 『ロッカーズロッカー』近くの路上。
 佐山と木塚はほぼ同時に目覚めた。
「……俺らなにしてたんだっけ? ワットイズ俺達?」
 木塚は頭をボリボリと掻いた。
「さぁ?」
 両手を上げる佐山。
 彼は裏人格の佐山ではなく、表の佐山だ。ちなみに今の彼にはもう裏の人格はなく、『鍵人』の記憶もない。もちろん、闇もない。
「あれ? これなんだろう?」
「ん?」
 佐山が指差したものを、木塚が拾い上げた。
「チケット?」
 それはまさしくチケットだった。『コバルトブルー・ライブ』、と書いてある紙が二枚。
「僕達、ここに向かってたのかな?」
 佐山がチケットの裏を見ると、ライブ会場はここのすぐ近くだった。
「う~ん、そうかもな……。とりあえず行ってみっか。もう始まっちまうしな」
「そうだね」
 チケットを握り締め、二人は駆け出した。

 『ロッカーズロッカー』Aホール。
 ステージの幕が開いた。
「わあぁぁあぁぁぁぁぁー!」
 男の声、女の声、轟音がホール内に反響する。
 しかし、その爆音のような声は、幕が完全に開いた瞬間、水を打ったように静かになった。
「……あははは。やっほーみんな……」
 ステージの上には三人しかいなかった。ドラムの正則。リードギターの愛凛。ベースの楽美だけだ。蒼眞は不在だった。いつも蒼眞がいる場所には、苦笑を浮かべている楽美がいる。
「あれ? 今日は『ラック』が歌うの?」
 『ラック』とは『コバルトブルー』での楽美の呼び名だ。バンドのホームページでメンバーの交代は知らせてあったので、ファンは彼女を認知していた。
「『クール』様は?」
「まだ準備中なのかな?」
「ちょっと、『クール』を出してよ!」
「『お嬢』可愛い……」
「『ラック』の方が可愛くね?」
「もう一度『姫』に会いたい……」
 様々な声が溢れ、瞬く間に喧騒に呑まれていくホール内。
「えーとね……『クール』はまだ準備中みたいだから……ちょっと待っててね」
 楽美がみんなをなだめるも、騒ぎは収まらない。

「あーあ、どうしよう?」
 騒ぎ出す人々に紛れ、困惑する緋色。
[蒼眞くんに会いたいな……]
 彼女の脳内で朱色が呟いた時、ホール内にメロディが響いた。煌びやかアルペジオ。とてもクリーンなギター音だ。
 再び静まり返る観客。
 その場にいる誰もが、ある男の登場を予感した。

『カギビト』48(ライトノベル)


 人通りの少ない路上。
 『ロック』された空間内に、不可思議な金属音が立て続けに反響する。
 蒼眞は苦い顔をしていた。
「ふはは! 貴様程度の使い手なら今までもいたぞ!」
 佐山は蒼眞の鍵を全て己の鍵で弾いていた。
「よくその程度の実力で余を打ち砕くなどと言えたものだ!」
 体勢の崩れた蒼眞の腹に、蹴りを叩き込む佐山。
 鈍い音がして、蒼眞は仰向けに倒れた。
 シャカシャカシャカシャカ。
 蒼眞のヘッドフォンからの音漏れが辺りに響き渡る。
「終わりだな、氷鉤蒼眞」
 佐山は蒼眞の腹に足を乗せた。ギリギリと、徐々に力を込めていく。
「……ふん、あきらめたか?」
 抵抗せず、蒼眞は佐山を見ていた。
 シャカシャカシャカシャカ。
 音漏れがする中、蒼眞はただ一言。
「おい佐山、ブースターって知ってるか?」
「うん?」
 佐山は眉をひそめた。
「一時的にギターの音量や歪みを増すことだ」
 蒼眞は蒼い鍵、『心鍵』を自らのこめかみに突きさした。
「『アンロック』」
 カチャリ。
 乾いた音と、蒼眞の涼やかな声が同時に響いた。
 その刹那、佐山の視界が反転する。
「! なんだ?」
 遅れて、佐山は自分にかかる重力が無くなっていることに気づいた。
「ブースターを使えば、そいつのソロが始まるって合図だ」
 佐山の目に、蒼眞は上下逆さまに映っていた。
 逆さまの蒼眞は、笑う。
「つまりな、これからオレのソロが始まるってことだ!」
 途端発生する重力。宙に浮いていた佐山は、地面に激突した。
「うあっ……!」
 鈍痛が佐山を襲う。
 いつの間にか立ち上がっていた蒼眞は、倒れている佐山の前に行き、MP3を停止させた。
「佐山、『鍵人会』のデータベースによると、おまえは『鍵人』になって間もなく死んだことになってるらしいな。ということは、ちゃんと『鍵人』として働いたのは、せいぜい半年くらいだろう」
「それが……なんだというのだ?」
 佐山は起き上がった。立ち上がる際、全身を襲う痛みに一瞬顔を歪めた。
「要するに、おまえは知らないわけだ」
「だからなにがだっ?」
 要領を得ない蒼眞の物言いに、佐山は苛つく。体の痛みなど忘れて蒼眞に突進。鍵を突き出した。
「『鍵人』の真の力をな」
「!」
 蒼眞は佐山のすぐ後ろにいた。佐山の背中にドロリとした汗が流れる。
「し、真の力だと……?」
 佐山は動くことができなかった。背後から発せられるプレッシャーに、全身を縛りつけられる。
 蒼眞は佐山の後頭部に鍵を当てたまま、涼やかな声を吐く。
「人間はな、普段は無意識のうちに体にリミッターをかけてるんだ。なぜなら、ただ生きていくだけならその程度の力で十分だからだ。そもそも、リミッターがなかったら体に負担がかかるしな」
「……?」
 蒼眞の話が突然逸れ、佐山はさらに混乱した。相変わらず体はコンクリート漬けにされたみたいに動かない。
「ところが、『鍵人』はそのリミッターをはずすことができる」
 不敵に笑い、蒼眞は鍵を佐山から離した。
「意味が……わからん!」
 佐山は振り向きざまに、鍵を振り回す。
「こんな風にな」
「っ?」
 またしても佐山の後ろから響く涼やかな声。
 蒼眞は佐山の背後にいて、やはり彼の後頭部に鍵の先端を当てていた。
「体にかかっていたリミッターを『アンロック』する。これが『鍵人』真の力だ。仲間内では『解錠(かいじょう)』とか言ってるけど、オレは勝手に『ブースター』って名付けてるぜ。その方がカッコいいしな」
 ガタガタ震える脚をなんとか動かし、佐山は蒼眞から離れると、振り返った。
「し、知らない……。余は知らないぞ……。『解錠』など……『鍵人』がそんな風になるなど……知らない……。 そんな風に光を纏うなどっ!」
 佐山は初めて『解錠』状態の蒼眞を見て、震撼した。
 笑う蒼眞。その全身は蒼白く輝く光で包まれていた。
 人間には『気』と呼ばれるものがある。それは、普段は肉眼では確認できないほど微量にしかない。しかし、たしかにそれはあり、人々の日々の生活には欠かせないものだ。現在、蒼眞の全身から溢れ出しているのはこの『気』だった。『解錠』状態になると、『気』が肉眼で確認できるほど活性化されるのだ。
「おまえが知らなくても当然だぜ。このことは普通の『鍵人』には知らされないからな。知ってるのは、オレ達『十鍵人(じゅっけんじん)』だけだ」
 『十鍵人』。
 噂でしか聞いたことはないが、その言葉は佐山でも知っていた。特別優秀な『鍵人』十人にだけ与えられる称号だ。
 蒼眞が前進すると、彼を覆う蒼白い光もついていく。さながら、それは蒼い炎を纏っているかのようだった。
 ガタガタ体を震わせる佐山。黒い鍵を手から落としそうになる。
「なぜ『十鍵人』にしか知らされないのか? それは、他の『鍵人』には信用がないからだ。『十鍵人』には何年も闇を封印し、実力ある者だけがなれる。故に『鍵人会』に信頼されている。おまえのような裏切り者を処理するのが、オレ達のもう一つの仕事だ。そして、そのための力が『ブースター』ってわけだ」
 蒼眞の眼光が鋭くなる。蒼い炎も一層燃え上がる。
 込み上げてくる吐き気を抑え、佐山は言葉を紡ぐ。
「くそっ……くそっ! 人間のアポトーシスが……。次なる段階への進化が……」
 佐山は地面を踏みつけた。蒼眞に鍵を向け、走り出す。
「貴様さえいなければ完成したんだっ!」
 黒い鍵が後僅かに迫る蒼眞。
「佐山……」
 ふっ、と微笑み、蒼眞はあっさりと佐山の手を弾き、鍵を落とした。
「人間はそんなに弱くないぜ? おまえが思ってるほど、人間は弱くない」
 蒼眞は断言した。彼の双眸には確固たる光がある。
 佐山の頭に蒼い鍵が入っていく。彼の背筋を寒いものが通り過ぎた。
「人間は強いんだ、佐山。清谷も、オレのバンド仲間も、桐崎も、緋色のもう一つの人格も、みんな闇を乗り越えた。一度は闇に呑まれたが、みんな自分自身の力で再び蓋を作り出せたんだ。闇に打ち勝ったんだ!」
 恐怖だけではない。恐怖以外のなにかが、佐山の体を震わせる。心を揺さぶる。
「う、うるさいぞ! 余は……」
「佐山っ!」
 佐山の声は蒼眞の叫びに上書きされた。
 蒼眞は淡々と言葉を紡いでいく。
「おまえも闇に勝て。おまえは闇に惑わされてるだけだ。蓋を作れば、後はオレがなんとかしてやる」
 蒼眞の声は力強く、優しい。
「余が……闇になることで人間の進化が……違うよ。僕は……そんなこと……余は僕は余は僕は……」
 頭を抱える佐山。悲しんだり、怒ったり、表情が目まぐるしく変わる。
「僕は闇を……消した……たくない……消したい……消したい余は……闇を……僕は……闇を……っ!」
 勢いよく顔を上げる佐山。
「っ消したい! 僕は、闇を、消したいよ!」
 佐山は叫んだ。めいっぱい、力の限り叫んだ。
「そうか」
 蒼眞は頷くと、『心鍵』を握り直した。
 佐山は涙を流しながら、感情の吐露を続ける。
「僕はちゃんとした『鍵人』になりたかった。だからそのために、必死で闇を封印してきたよ。でも、闇の果てにはなにもなくて……また闇しかなくて……だから僕はもう嫌になっちゃって……。そしたら、気づかないうちに自分が闇に呑まれてた……」
 溢れ出す気持ち。溢れ出す涙。
「でも、今回のことで改めて気づいたよ」
 頬の雫を拭い、佐山は苦笑する。
「僕は闇が大嫌いだ」
「よく言った」
 蒼い炎を揺らしながら、蒼眞はニヤリと笑った。
 蒼眞の目には、もう佐山を覆う黒い靄は視えない。
「行くぜ、佐山?」
「うん」
 決意ある返事だった。
「『ロック』」
 カチャリ。
 蒼眞は佐山の額に鍵をさし、ゆっくりとひねった。
 月明りに照らされ、『心鍵』が、蒼眞の体が、蒼く輝いた。

『カギビト』47(ライトノベル)


 ライブ開始まで二十分。
 蒼眞を除いた『コバルトブルー』のリハーサルが終わった。
 すごいなぁ……。
 普通、歌のない曲はあまり人に感動を与えることはない。もちろん、インストなどは歌がないこと前提なので、それだけで楽しむことができる。しかし、歌があるはずの曲に歌がない、いわば伴奏だけの曲ではまずそれはないだろう。
 だが、緋色は感動してしまった。それほどまでに『コバルトブルー』というバンドは素晴らしかったのだ。
[それぞれがそれぞれの世界を構築しててすごいね。しかもそれらが合わさることでまた新たな世界が見えてくるよ]
 朱色も感嘆の声を上げた。といっても緋色の脳内で、だが。
 うん、ほんとそうだね。
 緋色は拍手した。それは『コバルトブルー』に対する称賛と感謝だ。
 楽美はニコリと笑い、舞台袖にいる緋色に駆け寄る。
「ありがとう緋色ちゃーん!」
「あぅ……!」
 いきなり抱きつく楽美。豊かな胸が緋色の頬を締めつけた。
 慌てて止めに入った愛凛は、楽美の服を軽く引っ張る。
「ら、楽美さん……」
「おお? しまった、またやっちゃった!」
 やっと楽美は緋色を解放した。すぐさま頭を下げる。
「ごめん緋色ちゃん!」
「あはは……大丈夫ですよ」
 乱れた髪を元に戻しながら、緋色は微笑んだ。
 と、そこに観客がいないにも関わらず舞台上でポーズをとっていた正則が、彼にしては真剣な表情で近づいてくる。
「緋色くん、君が悪いんだよ」
 唐突にそんなことを言う正則に、緋色は目をパチクリさせた。
「君が愛らし過ぎるからいけないんだよ。楽美くん以外の人だって抱きつきたくもなるさ」
「は、はぁ……すいません」
 なんとなく謝ってしまう緋色。
「うん、そういうわけだから……僕も君に抱きつきたーい!」
「ひぃっ……」
 正則は猛ダッシュで緋色に向かい、
「ぐえっ!」
 そしてコケた。足元にあったコードに引っかかったのだ。
 しばらく正則は痛がっていたが、やがて動かなくなった。
「「「…………」」」
[…………]
 女の子四人は沈黙。正則は最初からいなかったことにした。
「あの、前から気になってたんですけど、あれはなんなんですか?」
 緋色が指差す方へ、楽美と愛凛は目を向ける。
「ああ、あれ? あれはエフェクターって言うんだよ」
「エフェクター?」
 床の上にある黒板消しサイズの機械を見て、緋色は首を傾げた。
「エフェクターっていうのはね、ギターやベースの音を変えるものなんだ。愛凛ちゃん、緋色ちゃんに見せてあげて」
「は、はい」
 愛凛はギターを担ぎ、アンプのスイッチを入れた。その後、ギターを鳴らす。
 チャラーンと、あまり迫力のない音が響いた。
「これがギター本来の音ね。これにディストーションのエフェクターを使うと」
 楽美に促され、愛凛は足元のエフェクターを踏み、ギターの弦を撫でた。
 カッコいい。
 素直に緋色はそう思った。ギンギンに歪んだ音は、とにかくカッコいいのだ。
「ま、こんな風に音色を変えられるんだ。種類もたくさんあるよ。ディストーションより歪みの弱いオーバードライブとか、音が後から追いかけてくるディレイとか、音が揺れるトレモロとかね。他にもまだまだあるよ」
「へぇ~」
[奥が深いね]
 緋色と朱色は揃って感心した。
 一つ、朱色には気になることがある。
[蒼眞くんはどんなエフェクターを使ってるのかな?]
 あ、わたしもそれ思った。
 そんな二人の考えを察したかのように、楽美は告げる。
「蒼眞くんの使ってるエフェクターはシンプルだよ。オーバードライブ、ディストーション、ディレイくらいだね。しかもオーバードライブはブースターとして使ってるから、ほとんど他の二つがメインだよ」
「ブースター?」
 専門用語ばかりで緋色は混乱する。それは朱色も同じようで、彼女は先程から沈黙していた。
「ブースターっていうのはね、ギターソロの時みたいな『ここぞ』っていう瞬間にギターの音量や歪みを上げることだよ」
 楽美はサラリと教えてくれた。
「はあ……」
 しかし緋色にはあまりピンとこない。同様に朱色にも。
 難しい顔をする緋色を、楽美はビシッと指差す。
「ま、要するに目立つってことだよ!」
「あ、なるほど……」
[そうなんだ]
 納得してしまう緋色と朱色。
「ら、楽美さん、まとめ過ぎです……」
 ギターを肩からはずしながら、愛凛は小さく呟いた。
 ライブ開始まで後十五分。

『カギビト』46(ライトノベル)


 現在。
 『ロッカーズロッカー』Aホール。ライブ開始まで後五十分。
「あ、そうだ。待っててもしょうがないし、とりあえず蒼眞くん抜きでリハやる?」
「そうだね」
「は、はい……」
 楽美の提案に、正則と愛凛は乗った。全員釈然としない表情をしている。
[蒼眞くん……]
 大丈夫だよ。
 不安げな声を出す朱色に、緋色は力強く頷く。
「氷鉤くんは絶対来るよ」
 そう漏らし、もう一度頷いた。

 『ロッカーズロッカー』から程近い場所、そこに木塚と佐山はいた。別になにをするでもなく、二人並んで歩いている。
「それにしてもよぉ、今日の緋色ちゃん普段よりさらに可愛くなかった?」
 両手をポケットに突っ込みながら、木塚は大股で歩いていく。似合わない金髪は本日も揺れていた。
「……拓さ、毎日同じこと言ってない?」
 隣を歩く佐山は冷めた表情だ。優等生面が冷めた表情をすると、なおさら冷たさが増す。
「たしかに毎日言ってるけどさ、今日は特別だって! なにか緋色ちゃんの可愛さが倍になった気がする! 緋色ちゃんイズダブルラブ! おまえは気づかなかったか?」
「……え? うん。まぁ、そうかもね」
「?」
 相棒のいつもより薄い反応に、木塚は眉を寄せる。
「おい佐山、おまえどうし……」
 突然、木塚が倒れた。
 転んだわけではない。いきなり脱力し、倒れたのだ。
「! 拓?」
 急いで木塚に駆け寄る佐山。
 その背中に、硬いものが当たる。
「よう」
 涼やかな声が佐山の背後で響いた。
 佐山は振り向かない。そんなことをしなくても後ろの人物が誰だかわかった。
「氷鉤っ……!」
 憎らしげに声を出した後、佐山は素早く身を運ぶ。背後にいた蒼眞から離れ、大きく距離をとった。その後、胸ポケットに手を入れ、なにかを取り出す。
 それは、黒い鍵。夜よりも深い漆黒の鍵だった。持ち手の部分には精緻な紋様が刻まれていて、不思議な光を放っている。
「やっぱりおまえが『起爆屋』か、佐山春雅。いや……」
 『鍵人』状態の蒼眞は口の端を曲げる。
「クソ野郎!」
 蒼眞は声を張り上げた。怒っているのだ。自分の友を弄んだ、目の前の男に怒りを感じているのだ。静かに、しかし激しく熱く、蒼い炎は燃え上がる。
「なんのこと?」
 わからないと、佐山は両手を広げた。
「……それだけ物的証拠があって、まだシラを切るか。大した野郎だな。『ロック』」
 カチャリ。
 蒼眞は空間を封印し、そのまま鍵を佐山に向ける。
「最初は完全に見落としてたぜ。どうりで脱退した『鍵人』の名簿におまえの名前がないわけだ。おまえは脱退してなかったんだからな」
「だからなんのこ……」
「『佐山春雅・任務中に殉職』。『鍵人』の死亡者リストにそう書いてあったぜ。名前を変えなかったのは失敗だったな」
 蒼眞は佐山を一睨み。怒気を全てぶつけた。
 しかし、佐山は怯まない。
「……くくくく……」
 佐山の顔がどんどん歪んでいく。どんどん歪み、邪悪に染まっていく。優等生面は完全にはがれ、闇が姿を現す。
「くっくっくっく! 名前を変えなかったのは失敗? 貴様はバカか? 余はあえて名前を変えなかったのだよ!」
 佐山の雰囲気がガラリと変わった。両眼は極限までつり上がり、口は裂ける寸前まで歪められている。
 闇が出たな、と蒼眞は冷静に判断。鍵をしっかりと構える。
「貴様のようなバカでも気づくように、ヒントも隠しといてやっただろう? 夏代緋色のもう一つの人格、そいつの記憶の一部だけを封印しないでおいた。彼女の脳内にあった『余は死体だ』という言葉がそれだ」
 『余は死体だ』。
 蒼眞が朱色に『心鍵』をさした時、蒼眞は彼女の記憶の中にその言葉を見つけた。それによって『鍵人』の死亡リストを見るに至ったのだ。
 それは佐山の計算通りだった。
「貴様のように余に近づいてきた『鍵人』を消し、『心鍵』を奪うのが目的だ」
「それが……あの紅い鍵か?」
 ギリと、蒼眞は歯を鳴らす。佐山が鍵を二本持っているということは、蒼眞の同業者がやられたことを意味していた。
「貴様は愚かだな。貴様は余を追い詰めたつもりだろうが、追い詰められたのは貴様の方だ」
「…………」
 蒼眞は押し黙った。佐山の言葉は嘘ではない。彼から発せられる気配は自然と蒼眞にそう認識させた。
「貴様は余の巣にかかった餌だ。たっぷり可愛がってから食してやる」
 どす黒い靄が佐山の全身を覆い尽くす。それは蒼眞が今まで視てきた中でも特大の闇だった。
「貴様を食す前に、余がなぜこんなことをしているのか、教えてやろう」
 佐山は蒼眞の周りをグルグル回る。まるで捕食者が獲物を吟味しているかのように。
「時に氷鉤蒼眞、貴様はアポトーシスという言葉を知っているか?」
 依然、蒼眞はなにも口にしない。『鍵人』になる際様々な分野の教育を受けていたので、アポトーシスの意味は知っている。知っているが、この場合答えない方がいいと判断したのだ。佐山は質問の形をとってはいるが、相手に答えを求めている様子はない。
 案の定、佐山はすぐさま言葉を吐き出す。
「アポトーシスというのはな、あらかじめ遺伝子に組み込まれているプログラムに従って、細胞が死んでいくことだ。つまり、成長の課程で必要なくなった部分を削ぎ落としていくわけだな」
 佐山を覆う黒い闇は、それだけで意思があるかのように蠢く。
「余がやっていることはそういうことだ。だが、余の場合は些かそれが壮大だがな」
 佐山は嗤う。
「人間のアポトーシス。余の目的はそれだ。ただそれだけのために余は生きている。生きて、闇を開き続けている。その課程で寄ってくる『鍵人』を殺し、奪った鍵でまた闇を開く。開いた闇に鍵を渡し、さらに闇を開く。それを繰り返して繰り返して、闇は世界に認知される」
「?」
 蒼眞の中に疑問が生まれる。佐山のやっていることはアポトーシスとは言えないからだ。
「闇が人々を埋め尽くした時、彼らはようやく気づくだろう。人の闇はこんなに恐ろしいものなのか、と。そして人々は闇を消そうとするはずだ。だが、一人一人の闇をいちいち取り除くことなど到底できない。ならばどうすると思う?」
「おまえ……」
 蒼眞は佐山の言いたいことがわかり、その腐った考えに双眸を尖らす。
 突然、佐山の闇が広がり、蒼眞に襲いかかった。
 かのように蒼眞には見えた。
 実際はなにも起きていない。ただ佐山が蒼眞に向けて喋り続けているだけだ。
「きっと闇になってしまった人間を殺すだろうな。殺すことで闇を消し去るのだ。そして闇を全て消した時、つまり、闇に呑まれた人々を全て殺し終えた時、アポトーシスは成される。人類は新たなステップへと進めるのだ!」
 佐山は両手を広げ、空を仰ぎ見た。
「……くだらない」
「うん?」
 自分に陶酔していた佐山は、蒼眞の零した声を聞き漏らした。
「くだらないって言ってんだ」
 今度はちゃんと蒼眞の言ったことを聞いたが、いざ聞いてみるとそれは佐山には理解できない言葉だった。
 蒼眞は首にかけているヘッドフォンを装着する。
「そんなくだらない理由で、清谷は、楽美さんは、桐崎は、そして朱色と緋色は苦しんだっていうのか? 反吐が出る!」
 蒼眞の両眼が限界まで鋭くなった。冷たく燃え盛る蒼い炎が、その中でユラユラ揺れる。
「佐山、おまえの話はくだらな過ぎる。聞く必要なんかないぜ」
「なんだと? 貴様ごときが……」
 蒼眞はMP3の再生ボタンを押した。
 耳に、心に、極上のロックサウンドが流れ込む。煌びやかに歪むギター。大地の雄大さを彷彿とさせるベース。 人の鼓動と同調するドラム。そして全てを支配するシャウト。
 シャカシャカシャカシャカ。
 ヘッドフォンには収まり切らない心揺さぶる音達は、外の世界さえも呑み込んでいく。
 シャカシャカシャカシャカ。
 シャカシャカシャカシャカ。
 蒼眞は鍵の先端をまっすぐ佐山に向ける。その姿はさながら、剣を持った戦士のようだ。
「ーーーー!」
 佐山がなにか叫んでいるみたいだが、蒼眞には聞こえない。聞く必要もない。
 シャカシャカシャカシャカ。
 蒼眞は今の佐山の人格、それごと『ロック』することにした。
 鍵を使う者同士の戦いというものは記憶や人格の消し合いだ。どちらかが相手の額に『心鍵』をさした時、勝負は決する。それ故、戦いはハイスピードで展開されることが多い。
 シャカシャカシャカシャカ。
 しかし、蒼眞はゆっくりと歩いていた。蒼い鍵を突き出したまま、一歩一歩佐山に近づいていく。
 佐山は動けずにいた。彼は自分こそが捕食者だと思っていたが、今の状況はまるで正反対のものだった。
 そこで佐山は気づく。
 先刻、佐山の全身を包む闇が蒼眞を襲った時のことだ。あれは闇が蒼眞を攻撃したわけではなかった。闇はそうせざるを得なかっただけなのだ。目の前の青年から放たれる冷気、怒気、覇気により、闇は防衛反応をしてしまっただけだった。
 蒼眞の鍵が佐山のすぐ前まで迫る。
「くそおぉっ!」
 もちろん蒼眞には聞こえない咆哮。佐山は黒い鍵で蒼眞の鍵を弾いた。
 不自然な金属音が鳴り、それが戦いの合図だった。
「佐山! おまえの妄想は……オレが打ち砕く!」
 蒼い光が、闇を切り裂いた。

『カギビト』45(ライトノベル)


Lock5、闇の果ての光
 ライブハウス『ロッカーズロッカー』のAホール。以前『コバルトブルー』のライブがあった場所。
「蒼眞くん遅いねぇ」
 唇を尖らせながら、楽美は呟いた。彼女の肩には、世名から譲り受けたリッケンバッカーの黒いベースがかけてある。
「し、心配です……」
 心底不安そうに、愛凛は表情を曇らせた。こちらの肩には赤いギターがかけてある。エピフォンのセミアコだ。
「僕は別に蒼眞くんはいらないけどね。彼がいなければ僕はハーレムだ。美女三人は僕のものさ」
 気持ち悪いことを言いながら、正則はパールのドラムセットを組み立てる。
 相変わらずだなぁ……。
 そんな三人の態度に、緋色は微笑んだ。なにも楽器を持ってないにも関わらず、ステージ上にいる緋色。彼らと顔見知りの緋色は、特別に中に入ることを許可されていた。
 楽美、愛凛、正則、それにただいま不在の蒼眞。彼らは『コバルトブルー』というバンドのメンバーだ。
 時刻は午後六時。『コバルトブルー』のライブ開始まで後一時間。メンバー達は本番前の最終リハーサルをしていた。しかし、蒼眞だけが先程からおらず、連絡もつかない状態だ。
[バンドって楽しそうだよね。ワタシもやってみたいな]
 緋色の脳内にそんな声が響いた。
 本当にみんな楽しそうだね。生き生きしてるよ。
[やるならギターがいいな。蒼眞くんともっと仲良くなれそうだし。手取り足取り教えてもらいたい]
 あはは……。本当に氷鉤くんに惚れちゃったんだね、朱色ちゃん。
 緋色と脳内会話を繰り広げているのは朱色だった。蒼眞が二人の間にあった扉を『心鍵』で開いたので、このようなことが可能になっている。意思が完全に独立している二人だからこそできる芸当だ。普段、片方の人格は眠っていて、会話の時だけ目を覚ます。
[当然だよ。蒼眞くんはワタシの命の恩人だもん。それになによりカッコいいし]
 まぁ、たしかに氷鉤くんは……カッコいいかな……。
 少し頬を染め、緋色はそんなことを思う。今回起きた様々なことで、蒼眞に対する見方は百八十度変わっていた。
[あー、やっぱり緋色ちゃんも蒼眞くんのこと好きでしょ?]
 え? す、好きじゃないけど……嫌いでもない……かな……。
[ふ~ん。で、その蒼眞くんはいつ来るんだろ? 早く会いたいのに……]
 そうだね、もう時間もないし、なにかあったのかな?
 緋色は首を傾げた。

 ところで、なぜ緋色が、いや、緋色と朱色がここにいるのか。
 時は六時間前にさかのぼる。

 駆木高校屋上。以前に蒼眞と緋色が話した、ひっそりとした場所。
「氷鉤くん、昨日は本当にありがとう。……あれ? 十二時過ぎてたから今日かな? とにかくありがとね。氷鉤くんのおかげでわたし達は救われたから」
 真面目な顔で頭を下げる緋色。朱色ではなく、緋色自身だ。
「いえ、今回はボクも随分夏代さんにお世話になりましたから、おあいこですよ」
 蒼眞は穏やかに微笑んだ。その後、なにかに気づいたようにポンと手を叩く。
「もう『夏代さん』ではありませんね。夏代さんは二人いるんですから。というわけで改めまして、こちらこそありがとうございました、緋色さん」
「っ……!」
 緋色は咄嗟に顔を逸らした。一瞬で真っ赤になってしまった顔を見られたくないのだ。
 あぅ……。なんかアレ以来余計に氷鉤くんのこと意識しちゃうよ……。
 緋色が蒼眞から全力で逸らした視線の先には、青い空が広がっていた。汚れなき雲は高い高い位置にある。僅かの間、緋色の心は空に釘づけになった。
 だから蒼眞がすぐ近くに来たことに、緋色は気づかなかった。
「緋色さん、一つ提案なんですが……」
「ひゃうっ……?」
 逆に蒼眞の方が驚くほど、緋色は飛び跳ねた。両腕で自分を抱き、潤んだ瞳で蒼眞を見る。
「な、なに……?」
「はい、緋色さんと朱色さんが会話する方法を先程思いつきました」
 言うが早いか、蒼眞は胸ポケットから鍵を取り出す。メガネをはずし、髪を整えると目付きが変わった。
「緋色と朱色は完全な別人格だ。それが一つの脳に入っている。となると、二人の間には互いが干渉しないようにするための扉があるってことだ。オレの予想だとその扉を『心鍵』で開けば……」
「朱色ちゃんと話せる?」
「多分な。きっと頭の中で会話できるはずだ」
「それすごいよ! もしできたら嬉しいな!」
 興奮する緋色。片側にまとめて結んだ髪を揺らす。
「じゃあ、とりあえずやってみるか」
「うん! お願い!」
 蒼眞はゆっくりと緋色の額に鍵を入れていく。なんとなく緋色は目を閉じた。
「『アンロック』」
 カチャリ。
 世界に響く乾いた音。
「緋色、どうだ?」
 緋色の耳に届くのは蒼眞の涼やかな声。そして脳内に響くのは、
[緋色ちゃん、ワタシの声が聞こえる?]
 紛れもなく朱色の声だった。
 う、うん! 聞こえるよ!
 緋色は頭の中で答えた。すると、再び脳内に声が響く。
[やったぁ! 緋色ちゃんと話ができて嬉しい!]
 わたしも、わたしもだよ!
 緋色の瞳から涙が溢れた。感動で心が震える。それはきっと朱色も同じだろう。
[あ、緋色ちゃんにお願いがあるんだけど……]
 いいよ、なに?
[今だけワタシに体貸してくれない? 氷鉤くんに言いたいことがあるの]
 うん、わかった。
 緋色は胸の鍵を掴み、自分の額にさしてからひねった。
 カチャリ。
 途端、緋色の様子が変わる。髪と瞳は紅みを増し、雰囲気もどことなく壮麗なものになった。
「……朱色か?」
「うん、また会えたね、氷鉤くん」
 朱色は挨拶すると同時、驚くべき行動に出た。
「氷鉤くんっ!」
「なっ……?」
 いきなり蒼眞に抱きついたのだ。蒼眞の体をがっちりと掴み、キツく抱き締める。
「ありがとう氷鉤くん……本当にありがとう……」
 朱色の声は震えていた。
「はぁ、まいったな……」
 朱色を優しく抱き返しながら、蒼眞は呟く。
「惚れちまいそうだ」
 この時、なぜ緋色が黙っていたのかというと、驚きと恥ずかしさによって言葉が出なかったからだ。
「氷鉤くん……あ、あの……」
 蒼眞からやや距離をとり、朱色は俯いた。
「ん? なんだ?」
 蒼眞が尋ねても、朱色はなかなか口を開かなかったが、やがて小さく漏らす。
「……『蒼眞くん』って呼んでも……いい?」
 しばらく目を丸くする蒼眞。ややあってから笑みを作る。
「もちろんいいぜ、朱色」
 その返事に、朱色は瞳を輝かせた。頬を朱に染めながら体をくねらせる。
「ありがとう……蒼眞くん」
 呟いてから、朱色は額に紅い鍵をさし、それをひねった。
 カチャリ。
「わぁっ……?」
 急に彼女の態度が変わった。びっくりしたように目を見開いている。視界に蒼眞が入ると、みるみる顔が赤くなった。
「あの……その……氷鉤くん……」
 明らかに混乱している彼女は緋色だ。先刻朱色がやったことで頭がいっぱいになっていた。
「ところで緋色、放課後暇か?」
「えぅぇ? ほ、放課後?」
 放課後ってことは夜だよね……。いったいなにをする気なんだろう?
 緋色の脳内に様々な憶測が巡る。
 蒼眞は小さくため息を吐いた。このままでは話が進まないと判断したのか、人格を切り換える。
「今日ボク達のライブがあるんですよ。新しいメンバーになってから初めてのライブです。もし暇なら見に来ていただきたいんですが……どうですか?」
「へ? あ、そうなの? そういうことならあいてるよ、放課後」
 慌てて緋色は返事をした。未だ頬は赤い。
「よかったです。それなら今日の午後七時、『ロッカーズロッカー』に来て下さい」
 蒼眞は二枚のチケットを緋色に渡して、にこやかに微笑む。
「お二人で、ですよ」
「う、うん! ありがとう! 朱色ちゃんもありがとうだって!」
 その後緋色の携帯に楽美からの呼び出しが来て、緋色はリハーサルを見ることになった。

『カギビト』44(ライトノベル)


 翌朝、午前八時。
 窓から射す光で、緋色は目を覚ました。
 しばらくぼーっとしていたが、やがて驚いた様子で辺りを見回す。部屋を、自分の体を慌てて確認した。
 嘘? なんで?
 困惑している彼女は夏代緋色ではなかった。いや、見た目は緋色とほとんど一緒なのだが、中身が全然違うのだ。
 ワタシは氷鉤くんに封印されたはず……。
 彼女は昨夜蒼眞と話をしたあの少女だった。舞依、楽美、桐崎の闇を開いた『起爆屋』でもある。
 少女はベッドから飛び降りると、もう一度周囲を見渡す。
 そこはどっからどう見ても緋色の部屋だった。
 少女は自分の頬をつねり、両目をこする。そしてまた周囲を確認。
 何度やってもそこは夏代緋色の部屋だった。
 自分の境遇が彼女は理解できない。昨夜たしかに蒼眞に封印されたはずなのだ。
 辺りをキョロキョロ見ていると、ふと自分の首に重さを感じた。少女が胸元に目をやると、
 ……鍵?
 チェーンを通し、ネックレスのようにした真っ赤な鍵がそこにあった。異様な輝きを放つそれは、間違いなく『心鍵』だ。
 少女の頭をさらに疑問符が埋め尽くす。
 わからない。ワタシはいったいどうなったの……?
 もしかしたらここは死後の世界なのかも、と少女が思案し始めた時、それは目に入った。
 勉強机の上にあるそれは四角い紙。淡いピンク色の封筒だった。
 少女は近づいて封筒を手に取る。
『名無しの美少女さんへ』。
 封筒にはそう記してあった。見覚えのある字体だ。毎日のように見た記憶がある。
 名無しの美少女……ってワタシのこと?
 誰が書いたか薄々勘づきながら、少女は封筒を裏返す。
「っ!」
 そして少女は言葉を失った。
 封筒の裏には予想通りの名前が記されていた。
『夏代緋色』。
 可愛らしい字でそう書いてある。緋色の内側にいた少女だからこそ、その文字が緋色自身の書いたものだとわかった。
 どういうこと……?
 少女の心臓が早鐘のごとく鳴る。
 震える手で掴んでいたので、封筒から中身が零れ出た。同じく淡いピンク色の便箋が幾枚か床に滑り落ちる。
 高まる緊張。入り乱れる期待と不安。
 少女は便箋を拾い上げ、読み始めた。
 手紙はこう始まる。
《こんな風に話すのは初めてだね。わたしは夏代緋色、あなたのもう一つの人格だよ》
 少女は椅子に座り、改めて手紙を読み始める。生まれて初めて贈られる自分への言葉を。
《色々言いたいことがあるけど、まずあなたに名前をつけさせて欲しいな。『あなた』とか『名無しの美少女さん』とかじゃ呼び辛いからね》
 名前……。ワタシの?
 焦燥感に駆られ、少女はさらに読み進む。
《氷鉤くんに聞いたんだけど、あなたはわたしより髪と瞳が紅いんだってね。わたしが『緋色』でしょ、だからあなたは『朱色(しゅいろ)』なんてどうかな? 『夏代朱色』。いい名前だと思うんだけど……嫌だったらごめんね。でも今だけは『朱色ちゃん』で話を進めさせて?》
 ポツポツと、便箋の上に染みができていく。
 夏代朱色……。ワタシの名前……ワタシの……。
 少女、朱色にその名を拒否することなんてできなかった。自分に名前があることがただただ嬉しい。しかも、自分が一番大切に思っている人が名付け親ともなればなおさらだ。
 満たされた心で、朱色は手紙を読み進む。
 緋色が書いたことをかいつまんで述べるとこうなる。
 まず、昨夜、朱色が蒼眞に眠らされた後の話だ。あの後、蒼眞は緋色を起こし、今回の事件の真相を話した。同時に、今まで封印されていた緋色の記憶を呼び覚ます。それによって緋色は全てを理解することができた。
 次に記されていたのは緋色の、朱色に対する謝罪だった。実のところ、生まれてからずっと緋色は朱色の存在になんとなくだが気づいていたのだ。しかし、自分を失うのが怖くて、気づかないふりをしていたのだという。それが彼女唯一の闇だった。そのことを緋色は謝った。真摯に、心からの謝罪を述べた。
 そしてその闇は、今はもうない。なぜなら蒼眞が封印したからだ。
 最後に書かれていたのは朱色への感謝と、これから先のこと。
《ありがとね、朱色ちゃん。あなたがいたからわたしは今まで頑張ってこれた。もう一人のわたしに負けないようにって、頑張ってこれたんだよ。本当にありがとう。それと、これからもよろしくね。二人で生きていこう、朱色ちゃん。
 追伸。わたしのことは『緋色様』じゃなくて『緋色』でいいからね。あ、『緋色ちゃん』だったらもっと嬉しいかな》
 ポロポロと、ポロポロと涙が零れた。手紙の上に落ち、インクを滲ませる。
「う……うぅ……うえ……うえぇぇぇん……!」
 朱色は泣いた。生まれて初めて、心の底から泣いた。悲しみではなく喜びで、絶望ではなく希望で、闇ではなく光で。
 まるで今までの闇を全て洗い流すかのように、泣いて泣いて泣いた。泣いて笑って、また泣いた。
 ありがとう氷鉤くん。
 そして、ありがとう、
「緋色ちゃん……」
 窓から射す光が異様に明るいある休日の朝、夏代朱色は生まれた。

『カギビト』43(ライトノベル)

「じゃあ次はワタシが話す番かな」
 少女は再びベンチに腰かけた。蒼眞にも座るように促す。
 今は話を聞くしかないか。
 なす術がない蒼眞は少女の提案にのることにした。彼女の話を聞き、少しでも闇を封印するヒントが見つかればと考える。
 蒼眞が座ったのを確認し、少女は口を開く。
「ワタシは緋色様と同じ日に、緋色様の裏の人格として生まれた。緋色様が成長していくに連れ、ワタシという存在も大きくなっていったの」
 静かに言葉を紡ぐ少女。その横顔は緋色と瓜二つだった。だが、表情はまるで違う。
「精神の内側から緋色様の生活を見ていて、ワタシは思ったの。緋色様はなんて美しいんだろう、なんて眩しいんだろうって」
 少女はうっとりと目を細める。恋する乙女のように見えるが、その全身からは依然闇が溢れ出している。
「緋色様は完ぺきだった。人を愛し、人に愛される存在だった。それでワタシは理解したの。緋色様は光なんだってね」
「それでなぜあなたが闇になってしまうんですか?」
 突然敬語になる蒼眞。
 それに少女は多少驚いた様子を見せるも、蒼眞が普段のモードに戻っただけだと悟ったようで、表情を元に戻した。
 だらしない髪型にメガネ、蒼眞がこの姿になったのには理由がある。一つは、こちらの方が相手を刺激しないだろう、ということ。もう一つは、今はまだ『心鍵』を使える場面ではないと踏んだからだ。蒼眞は、『クール』としての自分はライブの時と『鍵人』の仕事の時だけと決めていた。
 少女は蒼眞の質問に答える。
「ワタシは闇になったんじゃないよ」
「……どういうことですか?」
 先刻の話と繋がらないと、蒼眞は首を傾げた。
「ただ、気づいただけ……」
 ふっ、と少女は自嘲的に笑った。夜風が彼女の赤い髪をさらう。髪も瞳も、緋色に比べて紅い。
「ワタシが闇だってねっ!」
 歪みきった笑顔とともに、少女の瞳はギラギラと輝いた。
「絶望した瞬間はいつかって言われたら、きっとその時だろうね。だってその時すごくすごく悲しかったもん。すごくすごく。すごくすごく!」
 少女は狂ったように呟く。すごくすごく、すごくすごく、と。
「緋色様とワタシの意見はいつも反対だった。いじめられているクラスメイトがいれば、ワタシもその子をいじめればいいと思った。でも緋色様はそうしなかった。その子を助けたんだよ。毎日積極的に話しかけてさ。しだいにいじめをしていた友達もいじめをしなくなっていって、最後にはみんなで笑い合ってたよ」
 まるで夜空に話しかけているようだった。少女は虚空に言葉を吐き続ける。
「そんなことが何回もあってね、緋色様の選択は毎回正しかった。そしてワタシの選択はいつも間違ってた……」
 夜の静寂を、風が過ぎ去る。
 蒼眞は異変を感じていた。それがどんなものかはわからないが、たしかにある違和感。
「わかっちゃったんだよね、ワタシはいらない存在なんだ、って。多分ね、これはワタシの想像なんだけど、ワタシは緋色様が本来持つべき闇の部分なんだと思う。ワタシ達は光と闇が完全に分離した二重人格なんだよ。二極人格って名付けようかな」
 むちゃくちゃな理論だとは思うが、一方で蒼眞は納得することもできた。彼女が完全に闇かどうかは別として、夏代緋色という女の子には欠点がないことはたしかだ。でもだからといって、少女の考えは明らかに異常だった。
「名付けるといえば、最初に氷鉤くんが言ったみたいに、ワタシ名前がないんだ。なにか名前つけてよ? 呼び辛いでしょ?」
 蒼眞がどう答えたものかと考えていると、少女はあっさりと告げた。最初から答えなど必要としていなかったかのように。
「ま、そんなのいらないんだけどね。元々ワタシは存在してないようなものだから。それに、どうせ……」
 一瞬、少女の瞳が揺らいだ。蒼眞はその中にはっきりとなにかを見る。
 ……?
 しかし、その正体はわからなかった。
「……話を元に戻すね」
 少女の瞳は再び狂気を取り戻す。
「でも最近はそう思わないよ。ワタシは必要な存在なんだって思う。緋色様のためにいなければいけない存在なんだよ」
 胸に手を当てる少女。
「それはなぜだと思う?」
 少女は蒼眞に流し目を送る。
 その妖しい美しさに息を呑みつつ、蒼眞は思考を開始した。彼女の質問についてではない、彼女の目的についてだ。
 もしかして彼女は……。
 頭をかすめる一つの予感。浮かんでは消える。
「時間切れー」
 ブブー、と少女は顔の前でバツを作った。ぷくっと頬を膨らませながら蒼眞を睨む。
「氷鉤くんさ、ワタシの話聞いてる?」
「は、はい。聞いてました……よ」
「嘘だね。聞いてなかったんだ。ひどいなぁ……」
「……すいません」
 思わず謝る蒼眞。緋色は微笑する。
「しょうがない、正解を教えてあげるね。なぜワタシが必要か、それは緋色様をもっと輝かせるためです!」
 ダブルピースをしてみせ、少女は笑う。
「ワタシという闇がいるから、緋色様は光としていられるんだよ。強い闇で緋色様を包めば、緋色様はもっと強い光でそれを打ち消す。だから、ワタシは闇を作り出す。作り出して、緋色様に取り払ってもらうの。そうすることで緋色様はますます人に愛され、ますます光り輝くんだよ!」
 刹那、少女の体から大量の闇が湧き出た。同時に彼女の両目が充血したように深紅と化す。
 それがあなたの闇ですか。
 蒼眞は少女の闇を正しく理解し、再び胸ポケットの『心鍵』に手をかける。だが、相手の心にまだ蓋はない。一気にたたみかけることは不可能だ。
 時間稼ぎと、相手の心を揺さぶるために蒼眞は言葉を紡ぐ。先程から気になっていた違和感の正体を確かめる意味もある。。
「どうして……どうしてあなたはその話をボクにしたんですか?」
 闇をさらけ出せば出すほど、少女にとっては不利になる。にも関わらず彼女は自ら進んで話をした。それが蒼眞には不思議だったのだ。
 さぁ、どう出ます?
 少女の返答しだいによっては、蒼眞の推測は確信へと変わる。
 しかし、少女は蒼眞の質問には答えなかった。
「どうしたの? 鍵を掴んだりしてさ。それでワタシを封印する?」
 蒼眞の問いに問いで返した少女は、素早く立ち上がった。真剣な表情で蒼眞の方に歩み寄る。
 蒼眞も咄嗟に立ち上がった。片手でメガネをはずし、髪を整え、もう一方の手で鍵を突き出す。瞳を研ぎ澄ました。
「ワタシは闇だもんね、悪だもんね」
 歪んだ顔の少女はスタスタと歩いていき、蒼眞の目の前まで来て止まった。両者の息が触れ合う距離だ。
 蒼眞は緊張した。美少女が眼前に迫っているからではなく、今ここで戦闘になったらと危惧しているのだ。もしそうなったら、蓋のない彼女に蒼眞は勝つことができない。
 まずいな……。
 二人の鋭い双眸が交錯する。静まり返る空間。
「……いいよ」
 静寂を打破したのは吐息のような声。
「え?」
「いいよ。ワタシを封印しても」
 少女は微笑んでいた。目を細め、穏やかな表情をしている。全身から流れ出ていた闇も今はない。
 そうか。やっぱり……。
 蒼眞の考えは当たっていた。
「おまえ……最初からそれが目的か?」
 蒼眞の涼やかな声は、薄暗い世界に染み渡る。
「……なんのことかな?」
 いたずらっぽく少女は舌を出した。
「とぼけるな。おまえはオレにやらせるつもりなんだろ?」
「……だからなにをさ?」
 どうやら少女は答えたくないようなので、蒼眞が言うことにした。悲しくて切ない、彼女の目的を。
「おまえはオレに封印されるのを望んでんだろ?」
「っ……!」
 俯き、少女は後ろを向いた。背中が小刻みに震えている。
「なんだかんだ理由をつけても、結局おまえは自分が嫌いなんだろ? だからオレに消してもらいたんだ」
「っそうだよっ! ワタシは自分が大嫌い! 緋色様のためとか理由をつけて、生きてる自分が大嫌いだよ!」
 声を張り上げる少女。手は、肩は、小さく震え続ける。
「ほんとはとっくにわかってる。緋色様にとってワタシなんて必要ないことは」
 蒼眞にはわかる。今少女の口から吐き出される言葉は、胸から溢れ出る気持ちは、紛れもない真実だと。
「だからワタシは自分で自分を封印しようとした。だけど……だけどね……」
 少女の足元にポツポツと染みができていく。
「できなかった……。ワタシにはそんな勇気なかったの。結局自分が可愛いんだよ……」
 少女は振り返った。その瞳から雫が溢れていく。小さな小さな光の粒は、徐々にその数を増した。
「だからオレにやらせようとしたのか?」
「……うん」
 少女が頷いた時、透き通る涙が弾けた。
「そうか……。わかった」
「ワタシの願い、叶えてくれるの?」
「ああ、オレは最善を尽くすぜ」
 任せとけ、と蒼眞はウィンクをして見せた。
「ありがとう、氷鉤くん……」
 今にも消え入りそうな笑顔を浮かべる少女に、もう黒い闇は視えない。
「二つだけ訊かせてくれ」
『心鍵』を少女の額に突きつけ、蒼眞は動きを止めた。
「なに?」
 少女と同じように穏やかな表情でいた蒼眞が、一瞬だけその瞳に炎を灯す。
「おまえに鍵を渡したやつは誰だ?」
「それが……わからないんだよね……」
 少女は表情を曇らせた。
「わからない?」
「うん。いつの間にか『鍵人』のことを知ってて、いつの間にか『心鍵』を持ってたんだ……。結構最近だとは思うけど……」
「そう……か」
 しばらく考える素振りを見せた後、蒼眞はもう一つの気になることを口にする。
「今までどうやって夏代を騙してきた? 単に記憶を消すだけじゃ、その辺の記憶が曖昧になって不審に思われるだろ? しかもそんなことが頻繁にあったらなおさらだ」
 少女は顎に指を当て、微笑する。
「それはね、記憶を封印したんだよ」
「?」
 答えになっていない答えに、蒼眞は眉を寄せた。
「記憶を無くしたっていう記憶を消したんだ」
「そういうことか……。たしかにそれなら夏代も気づかないわけだ」
 感心する蒼眞の腕を片手で掴み、少女は蒼い鍵を自分の額に押しつける。『心鍵』はスルスルと中へ入っていった。
「お、おいっ……?」
 動揺する蒼眞。
「さ、もうお話は終わり」
 微笑する少女。
「早くしないと、夜更かしは体に毒だからね」
 少女はもう片方の手で蒼眞と握手した。
「ありがと、氷鉤くん。ワタシ、あなたのこと好きかも」
「っ……」
 蒼眞は息をするのを忘れてしまう。それほどまでに彼女は美しかった。闇夜でも映える白い肌、軽やかになびく赤い髪、憂いを秘めた紅い瞳。緋色とは違う美しさが少女にはあった。
「これは氷鉤くんに渡しとくね。なにかの役に立つと思うから」
 そう言って紅い鍵を蒼眞に渡すと、少女は両手を離した。
「鍵をひねって」
 決意を込めた少女の顔に、蒼眞は頷く。
「じゃあな、名も無き美少女さん」
「うん、ばいばい……」
 少女の瞳に溜まった涙が、月を映した。
「『ロック』」
 カチャリ。
 涼やかな声が、乾いた音が、世界に響いた。
 意識のなくなった少女を、蒼眞は抱きかかえる。少しの間夜空を眺めてから、歩き出した。

『カギビト』42(ライトノベル)


 光。
 なんと素晴らしいものだろう。
 闇である自分を満たすものは、光しかない。
 闇の存在を認めてくれるのも、光しかない。
 だから光をもっと強く。
 同様に闇を色濃く。
 まだまだ光は明度を増すことができる。周囲を闇にすれば、さらに、さらに輝くのだ!
 …………。
 …………。
 ……いや。
 もうやめよう。自分を騙すのはもうやめよう。
 これでわかったはずだ。十分理解できたはずだ。
 いい加減終わりにしよう。
 終わりにするべきだ。
 全てを……。
 終わりに……。

 深夜。そろそろ日付が変わるという頃。
 蒼眞はある家の前に立っていた。メガネはなく、髪型はスタイリッシュだ。
 シャカシャカシャカシャカ。
 いつになく激しい音漏れ。
 シャカシャカシャカシャ……。
 蒼眞はMP3を停止させる。
「行くか」
 呟くと、蒼眞は家の側面に回り、塀を使って一階の屋根に飛び乗った。すぐ前に二階の窓が現れる。
 この部屋だな。
 下調べしておいたので蒼眞は知っている。目的の人物がいる場所はここだ。
 蒼眞は上着の胸ポケットから鍵を取り出した。闇夜でも蒼く輝く鍵、『心鍵』だ。
「『アンロック』」
 涼やかな声とともに鍵をひねり、窓を開錠。中に侵入する。
「そろそろ気づく頃だと思ってたよ」
「!」
 蒼眞の額に真っ赤な鍵が突きつけられた。西洋風で精緻な作り、炎より紅い鍵だ。蒼眞には一目でわかる。その鍵は『心鍵』だった。
「女の子の部屋に勝手に入るなんて、氷鉤くんって意外に変態なんだね」
 紅い鍵の持ち主である少女はクスクス笑う。彼女の声は蒼眞が何度も聞いたものだった。
 ちっ、やっぱりそうか。
 苦笑する蒼眞。
「そりゃ結構な言い草だな夏代……いや、名も無き美少女さんよ」
 蒼い鍵で、額につけられた鍵を弾いた。ただの金属同士のぶつかりとは少し違う乾いた音が響いた。
「ははは、美少女ね。嬉しいこと言ってくれるじゃん」
 笑う美少女。赤い髪が揺れ、紅い瞳が瞬く。
 蒼眞の眼前にいるのは夏代緋色だった。彼女の名と同じ色の髪、瞳、紛れもなく夏代緋色本人だった。
 しかし、目付きや態度はまるで違う。普段の柔らかい感じではなく、相手を威圧するような雰囲気があった。なにより異なるのは、彼女の全身を覆う黒い靄だ。
「……おまえが『起爆屋』か?」
 わかりきっていることを訊く自分を、蒼眞は不思議に思った。
「そうだよ」
 なんでもないことのように、少女は頷いた。窓の先を指差す。
「とりあえず近くに公園あるから、そこで話しよ?」
「……ああ」
 蒼眞は鍵を握り直した。手には僅かに汗が滲んでいた。

 夜の公園。子ども達の声などまるでなく、閑散とした場所。蒼眞と少女はそこにあるベンチに座っていた。ちなみに蒼眞が空間を『ロック』しているので、二人は世界から隔絶されている。
「なんでワタシだってわかったの?」
 赤チェックのパジャマを着ている少女は、薄い笑みを浮かべた。
 一方の蒼眞は硬い表情だ。
「まず、夏代の周りでいつも事件が起きたということ。次に、夏代と集めた情報。決定的だったのは、夏代が闇を視ることができるという点だ」
「やっぱりそこなんだ」
 少女は笑った。歪んだ笑顔は、今まで蒼眞が見てきたものと一緒だ。
「人の闇は絶望を経験すると視ることができると言われている。その理由は自分自身が闇を知るからだそうだ」
 蒼眞は淡々と言葉を紡ぐ。
「だから絶望を経験してない夏代に闇が視えるのはおかしいんだ。だが、彼女には視えた。そこでオレは気づいたんだ」
 そこで蒼眞は一度言葉を切った。僅かに逡巡してから、やがて口を開く。
「夏代はオレと同じで二重人格なんじゃないか? そして絶望を経験したのは夏代の裏の人格、つまりはおまえなんじゃないか? そう気づいたんだ」
「はははは! すごいよ!」
 少女は足をバタバタと動かした。はしゃぐ子どものようだ。
 蒼眞は話を続ける。
「『鍵人』は二重人格が多い。自ら『心鍵』を使って二重人格を創造するんだ。そのわけは『鍵人』の仕事とプライベートを分けたいからや、悲しい記憶を封印したいからなど様々ある。だが、それらはあくまで意図的に作り出した二重人格だ。そもそも二重人格なんて言ったってそんなもん偽物で、一人の人間が場面ごとに違うお面をつけてるようなものさ」
「うんうん、それで?」
 少女の唇はどんどんつり上がっていった。対する蒼眞の瞳は鋭さを増していく。
「だが、おまえは違う。おまえは作り出された人格じゃない。完全に夏代緋色とは別の人格なんだ。生まれた時からの二重人格。根本から違う二つの人格が一つの体に入ってるってわけだ」
「だーいせいかいっ!」
 少女はベンチから飛び降りた。満面の笑顔で蒼眞の方を向く。
「そうだよ! だから、ワタシは緋色様とは全然違う! ワタシは緋色様みたいに心が澄んでないし、緋色様みたいに優しくないし、緋色様みたいに眩しくないんだよ! でもそれでいいの。ワタシは緋色様の反対、対極の存在だもん」
 何度も使われる『緋色様』という言葉。その中に蒼眞は歪んだものを感じる。
「緋色様はワタシの光なんだ。ワタシは緋色様を輝かせるためだけに存在してる」
 月明りに照らされ、血のように真っ赤な瞳が瞬いた。体を包む黒い靄はさらに勢いを増す。
「おまえの闇は……なんだ?」
 立ち上がり、一歩後退しながら蒼眞は訊いた。『心鍵』を少女に向けて突き出す。
「闇はなに? ははははは! バカな質問だね! ワタシは闇なんか持ってないよ!」
「……?」
 少女は人差し指をゆっくりと自分に向けた。
「ワタシが闇だよ!」
 赤い髪を振り乱しながら、少女は叫んだ。邪悪な笑顔は、これまで蒼眞が見てきたものの中でも群を抜いている。
 まずいな……。
 蒼眞は思った。今のままでは目の前の闇を封印することができないからだ。
 本来、『鍵人』は闇を直接封印しているわけではない。というより、そんなことはできない。暗雲のように漂う闇に鍵をすることなんてできないのだ。故に、彼らは闇を封印するにあたり絶対にやらなければいけないことがある。
 それは、蓋を作ること。
 蓋とは理性。自己を保とうとする蓋。闇に呑まれた人にはこれがない。そこで『鍵人』は彼らを説得し、再び理性を目覚めさせる。つまり、蓋を作らせるのだ。闇に蓋をし、その蓋に鍵をすることで初めて、闇は封印できる。
「どうしたの? 難しい顔して」
 しかし、蒼眞の目の前に存在する少女には蓋がなかった。最初から理性というものが彼女にはないのだ。自身を闇と思い、闇と一体化することに迷いがない。『鍵人』にとってこれほど相手にしにくい闇は初めてだった。
「ねぇ、どうしちゃったの? いきなり黙って……」
 少女は一歩踏み出す。伴い、蒼眞は後退した。
 ……どうする?
 今のところ蒼眞にこの状況を打開する手段はなかった。仕方なく『心鍵』を胸ポケットにしまう。

『カギビト』41(ライトノベル)


 舞依と別れてすぐ、緋色は蒼眞と再会した。煮え切らない表情をしている。
「えとね、氷鉤くん……」
 口を開きかけた緋色を、蒼眞は片手で制した。メガネ着用、前髪ダランモードの蒼眞だ。
「最後に情報の整理をしますから、今は報告しなくていいですよ」
「え? う、うん……」
「では次の場所に向かいましょう」
 言い終わると、蒼眞はさっそく歩き出した。すぐに緋色も追いかける。
 目的の場所にはほどなくして着いた。
 『Loud Sound』。
 蒼眞行きつけの楽器店だ。快活な女ベーシスト、小橋楽美が働く場所でもある。
「緋色ちゅわ~んっ!」
 目当ての人はすぐに見つかった。店に入るなり緋色を熱く抱擁する。
「ららら楽美さん?」
 そのまま上下に揺さぶられる緋色。結んだ髪が激しく踊り狂う。
「どうも、楽美さん」
「ふぉっ? 蒼眞くん、いたの?」
 微妙に失礼なことをサラッと言い、楽美は大袈裟なアクションをとる。彼女こそ緋色達が次に話を聞く相手、小橋楽美だ。
「どうし……」
 質問しようとして楽美は動きを止めた。未だ腕の中の緋色と、少し離れた位置にいる蒼眞を交互に見る。
「ら、楽美さん……?」
 嫌な予感が緋色の頭に浮かんだ時、楽美が子どものように目を輝かせた。
「緋色ちゃんおめでとう!」
 ああ、やっぱり……。
 楽美に再度ギュッと抱き締められながら、緋色は彼方を眺めた。
「楽美さん、今日は話があって来ました。ひとまず夏代さんを解放して下さい」
「なに? 婚約発表? 俺の嫁に手を出すな?」
「違いま……」
「違いますっ!」
 緋色は楽美の腕を振り払った。ぷくっと頬を膨らませる。
「わたしと氷鉤くんはそんなんじゃありません!」
「あはは……ごめんごめん」
 両目をつり上げる緋色に迫られ、楽美は苦笑する。またやり過ぎたと反省したのだろう。
「で、話ってなんなの? わたし昼休みだから詳しく聞くよ?」
 ようやく本題に入れたことに、蒼眞は安堵する。
「それではまず場所を移しましょう」
 三人は店を出た。

 楽美から話を聞き終えた緋色と蒼眞は次なる目的地へと向かっていた。
「じゃあまた後でね」
「はい」
 そろそろ到着しそうなので蒼眞は緋色から離れた。また遠くから様子を窺うつもりだ。今回の相手は彼がいるときっと大騒ぎすると予測されるからだ。

「ひ、緋色ちゃんっ?」
 驚きにより、思わず素を出してしまったのは坊主頭の青年、桐崎将悟だ。
「こんにちは桐崎くん」
 緋色はにこやかに挨拶した。
 二人のいる場所は学校。駆木高校の校舎裏、自転車置き場のあるひっそりした場所だ。
「な、なんで緋色ちゃ……夏代が?」
 男にしては高い声を出し、桐崎は首を傾げた。背番号のない野球のユニフォームを着ている。野球部員である桐崎がランニングしているところを、緋色が呼び止めたのだ。
「うん、えーと……」
 緋色はボールペンと手帳を取り出しながら、自嘲的に笑う。
 なんだか慣れてきちゃった、この作業……。

 傾き始めた日の下、緋色と蒼眞は歩いていた。すでに駅前を離れていて、辺りに人はいない。
「夏代さん、お疲れ様です」
 蒼眞は緋色の方を向き、頭を下げた。
「ううん、大丈夫だよ。わたしから協力するって言ったんだし」
 そう言って緋色は笑ったが、蒼眞には緋色の疲労が読み取れたようだった。
「本当にありがとうございます。情報の整理はひとまず後回しにして、どこかで休憩しましょう」
 蒼眞は周囲を見渡した。近くに公園でもあればそこに寄ろうと提案した。
 しかし、緋色は首を振った。蒼眞の目をまっすぐに見る。
「わたしは全然大丈夫だよ。それより、早く情報の整理をしよ? もうみんなが苦しむのは見たくないから。今日 みんなに会って、やっぱりそう思ったんだ。わたしはみんなが大好きだから……」
 サラサラと、どこかで木々の揺れる音がした。
 蒼眞は微笑み、メガネの奥の瞳を緋色に向ける。
「そうですか、わかりました。ではまたボクの家に来て下さい」
「うん、わかった」
 二人は蒼眞の家に向け、歩を進めた。

 高層マンション十五階、蒼眞宅。
「お疲れでしょう、どうぞ」
「ありがとう」
 昨夜と同じく、蒼眞はお茶の入った湯飲みを並べた。今回は隣に和菓子も付け加える。
 お茶を一口飲んでから、蒼眞は言葉を紡ぎ始める。
「まず質問をおさらいしましょう。最近記憶を失ったことがないか。気持ちに変化が起きたのはいつなのか。最近印象に残った、あるいはなんとなく気になった人は誰か。質問はこの三つでしたね。では報告をお願いします」
「うん。じゃあ最初は舞依ちゃんからだね」
 緋色は神妙な面持ちで手帳を取り出した。
「最初の質問ね。舞依ちゃんは記憶がなくなったことはないって。わたしと一緒に経験した記憶喪失の前後はあまり記憶がはっきりしないらしいけど、それ以外はないみたい」
「……そうですか」
 呟いてから、蒼眞はお茶に口をつけた。
「次ね。極端に気持ちに変化が訪れたのも、記憶が曖昧になる直前みたいだよ。とにかくそのあたりのことはよく思い出せないらしいから、正確なことはわからないけどね」
 和菓子を一口食べ、緋色は話を続ける。
「最後の質問ね。なんとなく気になる人はやっぱり氷鉤くんだって。それと……」
「……?」
 緋色が急に言い淀んだので、蒼眞は不審に思ったのだろう。眉を寄せた。
「夏代さん、どうしたんですか?」
 蒼眞に話の先を促され、緋色はややあってから口を開く。
「舞依ちゃんが気になるのは……わたしだって」
 緋色は上目遣いに蒼眞を見た。多少瞳を潤めている。
 最初目を点にしていた蒼眞は、やがて微笑む。緋色がなにを心配しているかがわかったようだった。
「大丈夫ですよ。この結果だけで『起爆屋』を決めるなんてことはしませんから。そもそも夏代さんはそんなことをする人じゃないってわかってますから」
 そう告げてからも蒼眞は地味に笑っていた。
 そんな蒼眞の様子に、緋色は徐々に恥ずかしくなってくる。勝手に勘違いして勝手に気にしていた自分が無性に恥ずかしかった。顔がどんどん真っ赤になっていく。
 ああ……わたしなにやってんの~。
 羞恥心に耐えきれず、緋色は机に突っ伏した。
 でも……だって……。
「次は楽美さんですね。彼女の時はボクも聞いてましたから、ボクが報告しましょう」
「……お願い」
 くぐもった声で緋色は答えた。
「楽美さんも清谷さんと大体同じ答えですね。あのライブの日の記憶は不鮮明なようです。心の闇を感じたのも同時期。最近気になる人はやはりボクと……」
 緋色は顔を上げる。
「ほら、わたしじゃん」
 泣く直前のように顔を歪め、緋色は再び机に突っ伏した。
「心配しなくてもいいですよ。所詮この情報は参考程度ですから」
 もう一度蒼眞に慰められるも、緋色は両腕に顔を埋めたままだ。
「でも、みんなわたしが気になるって……。桐崎くんだってそう言ってたんだもん」
 緋色の声は僅かに震えていた。
 ふぅ、と蒼眞はため息。手櫛で髪をセットし、メガネをはずす。
「あのな、夏代。その考えでいったら真っ先に怪しいのはオレだぞ?」
 ……オレ? それにこの喋り方は……。
 緋色が顔を上げると、そこには蒼眞であって蒼眞でない人がいた。スタイリッシュな髪型、鋭い両目、挑戦的な態度、彼は『クール』だ。
「オレを犯人にしないでもらいたいね」
「ご、ごめんなさい……」
 思わず緋色は謝ってしまった。今の蒼眞の堂々とした雰囲気が、そうさせたのだ。
「わかればいい」
 薄い笑みを浮かべてから、蒼眞は緋色の頭を優しく撫でた。
 ひ、氷鉤くん?
 慌てて緋色は俯いた。普段とまるで違う蒼眞の様子に戸惑う。
 しかし、次に緋色が彼を見ると、
「桐崎くんの話、続きを聞かせて下さい」
 いつもの蒼眞に戻っていた。メガネ、だらしない前髪、穏やかな両目の氷鉤蒼眞だ。
「……あ、ごめん。桐崎くんの答えね。桐崎くんの記憶が曖昧なのは、あの事件の前日くらいみたい。気持ちに変化が訪れたのも同じ時だって」
「なるほど……」
 全ての情報を聞き終え、蒼眞は思案顔。メガネを押し上げ、机の上に置かれた緋色の手帳を凝視する。
 緋色は緊張していた。もしかしたらこれで今回起きた事件の黒幕がわかるかもしれないからだ。
 舞依ちゃんや楽美さん、桐崎くんを苦しめた犯人がわかる。
 緋色は固唾を飲んで、蒼眞を見守る。
「夏代さん、『起爆屋』は……」
「『起爆屋』は?」
 一瞬の間。静寂が部屋を包む。
「わかりません」
 蒼眞の出した解答は実にシンプルだった。
「…………え?」
 たっぷり十秒溜めて、緋色は声を絞り出した。両目をパチクリさせる。
「いや、やはりこれだけの情報ではわかりませんね。見当もつきませんよ」
 苦笑しながら、蒼眞は頭をかいた。珍しくオーバーアクションだ。
「そんなぁ……」
 緋色はがっくりと肩を落とす。赤い髪を机に垂らした。
「すいません、夏代さん。せっかく協力していただいたのに……」
「ううん、それは平気だよ。だけど……」
 舞依ちゃん達に申し訳ないな……。
「夏代さん?」
 突然黙った緋色の顔を、蒼眞は心配そうに覗き込んだ。
「なんかわたし全然役に立ってないと思って……。舞依ちゃん達を苦しめた『起爆屋』を見つけることもできなくて、結局嫌なことを思い出させちゃっただけだよ……」
 またがっくりと肩を落とす緋色。蒼眞は、いいえ、と首を振る。
「夏代さんはちゃんと役に立ってますよ。こんなにも清谷さん達のことを想い、努力してるじゃないですか。それが一番大事なことなんですよ」
「……そうかな?」
 先刻と同じく、緋色は上目遣いに蒼眞を見た。
「そうです」
 蒼眞は断言した。今告げたことは全て本当に思っていることだとでも言うように、しっかりと頷いた。
「それならよかった~」
 安堵したように息を吐き、緋色はお茶を飲んだ。
 蒼眞はメガネを押し上げ、緋色を見る。
「夏代さんが皆さんに人気な理由が改めてわかりましたよ。優しいからです。もちろん美しくも可愛らしい容姿が第一の要因ですけどね」
「っ!」
 緋色は危うくお茶を噴き出しそうになる。
「ひ、氷鉤くん? なに言ってんの?」
「本心ですよ」
 蒼眞はにこやかに微笑んだ。
 氷鉤くんっておとなしそうに見えて、意外と大胆なこと言うんだよね。
 頬を紅潮させながら、緋色はそんなことを思った。
 その矢先、
「ボクも夏代さんのこと好きですよ」
 大変なことを蒼眞はのたまった。
「ふぇっ?」
 緋色は手を滑らせ、湯飲みを机の上に落とす。幸い、湯飲みは空になっていたので、机をコロコロ転がるだけで済んだ。
 氷鉤くんがわたしのことを……好き?
 一旦は落ち着きかけたのに、再び緋色の頬は朱に染まっていく。
 落ちた湯飲みを蒼眞は拾い、緋色に渡す。
「夏代さんの反応は毎回可愛らしいですね」
「わぇっ?」
 緋色はもう一度湯飲みを落とした。
 か、可愛い?
 真っ赤になった顔を、緋色は手で扇ぐ。
「ひ、氷鉤くん! からかわないでよ!」
 頬を膨らませてそっぽを向いた。
「すいません」
 蒼眞は苦笑し、一転、真面目な顔になる。
「とにかく今日のところはここまでですね。夏代さん、ありがとうございました。先程集めた情報を元に『鍵人会』のデータベースにアクセスしてみます。『鍵人会』を勝手に脱退した人の中に今回の『起爆屋』がいるかもしれません」
「うん、わかった」
 まだ微妙に赤い頬のまま、緋色は頷いた。
「なにかわかりしだい連絡します。とにかくまた会いましょう」
「え? またって?」
「あ、いえ、すいません。あさって、学校で会いましょうってことです」
 少し焦った様子で蒼眞は立ち上がり、玄関へと向かう。
 ……なんだろ?
 めったにない蒼眞の態度を疑問に思いつつ、緋色も玄関へと足を運んだ。
「それでは、月曜に学校で会いましょう」
「そだね、ばいばい」
 簡単な挨拶をし、二人は別れた。
 ドアを開けると、緋色の目の前に以前と同じような景色が広がる。
 綺麗だなぁ。
 知らぬ間に笑顔になっていることに気づき、緋色は自分が上機嫌だと悟った。
 赤い髪を揺らし、紅い瞳を輝かせ、緋色はマンションを後にした。

 シャカシャカシャカシャカ。
 蒼眞は大爆音で音楽を聴いていた。もちろんヘッドフォンから音漏れがしている。
「これが最後の望みか……」
 鋭い双眸で、蒼眞はパソコンの画面を眺めていた。そこに映し出されているのは『鍵人』だけが閲覧できるページだ。
 シャカシャカシャカシャカ。
 今日、蒼眞は窓から緋色を見なかった。ただパソコンの画面だけを、睨んでいる。
 シャカシャカシャカシャカ。
プロフィール
ゆない。と申します。

ゆない。

Author:ゆない。
ゆない。です! 作家を目指してます!

Author:ワキオ
ゆない。と共に作家を目指しています!

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